アイヌ語をめぐるエスペランチストの活動 -「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワークへの連盟有志の参加と、 その他アイヌ語をめぐるエスペランチストの活動 - 北海道エスペランチスト連盟 事務局 |
「北海道の森と川を語る会」は、開発が施された川を元の自然に近い姿に戻すための運動の一つとして、アイヌ語の地名表記を復活されようと呼びかけました。また、日本国際地図学会会員でもある堀淳一さんの4月3日北海道新聞夕刊の「アイヌ語地名を復活させよう」とのエッセイは、読者の声欄に多くの賛同の投書が載るという反響を生みました。
このようなことが始まりとなり、数回の準備的会合の後、1998年7月18日に「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワーク(代表・小野有五 北大地球環境科学研究科教授・北海道の森と川を語る会代表/世話人・藤村久和 北海学園大学教授、堀淳一 北海道大学名誉教授、小川隆吉 北海道ウタリ協会・アイヌ民族文化伝承の会)が発足し関係行政機関やJR北海道などへ向けての署名活動を始めました。(趣旨のページを参照) 発足集会には呼びかけた「北海道の森と川を語る会」の会員をはじめ、アイヌ民族団体、地名研究者、私たちエスペランチストも個人で参加し、120名ほどが集まり、具体的な署名活動を行っていくこととなりました。
市民ネットワーク代表は、「私はこの地名運動を和人が中心になってやるべきものだと思っています。和人たちが開発の名のもとに北海道の本来の自然の姿をだいなしにしたのです。アイヌの人々が私たちを求めているのではなく、和人である私たちがアイヌ語の地名を学びしることによって、森や川を元の姿に戻す契機にできるのです。」と言いました。
この発足に先立ち、7月11日の連盟委員会ではこの間の市民ネットワーク準備会に個人として参加していた委員たちより、連盟がこの運動を「言語の異なる人々が自らの言語を大切にしつつ、同時にお互いの言語を尊重し、共生することをめざす(JEI(日本エスペラント学会)言語権シンポジウム案内より)」という言語権の問題としてとらえ、とりわけ北海道のエスペランチストが積極的な役割を果たしうるのではないのか、またこのことを通してエスペラント運動のめざすものを広く様々な市民運動にたずさわる人々に伝えていけるのではないかとの意見が出されました。
委員会の話し合いの中で、(1)市民ネットワークは様々な活動や考えを持った人たちの集まりで、今後も議論をしながら運営されていくことであろうこと。(2)そして当面この会は消えたり歪めたりしつつあるアイヌ語地名を大切にするためにできるところからアイヌ名と和名を併記して表示していく事を目的に活動する事を、一致点としていること。 が報告されました。
連盟委員会は「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワークの活動に関心をはらい、個人の資格でこの運動に参加している連盟員から、この会の内部での議論や活動の成果などについて委員会や大会で報告を受けていく事にしました。
連盟としてはこのようなオブザーバ的な形でかかわりながら連盟内での議論を行い、連盟員の十分な理解や賛同が得られる場合は、連盟全体でも取り組みうる課題として確認されました。
その後、1998年10月18日の連盟総会で、人権としての言語権の確立をめざす社会活動としてこれを位置づけ、「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワークにオブザーバとして関わり、連盟員にこの運動への参加をうながしていくことを正式に決定しました。同日、北海道エスペラント大会の公開プログラム「人権としての言語権 - アイヌ語・日本語・エスペラント」のパネラーとして参加していたネットワークの小野有五代表に、連盟員有志が集めた賛同署名89名分を渡しました。
96年発表の「国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言」第6条には、以下のような言語の多様性についての積極的な評価がのべられ、これについては様々な議論がJEI(日本エスペラント学会)の会誌「レヴオ・オリエンタ」の紙上などで行われています。
6.言語の多様性
諸国の政府は往々にして世界における言語の多様性をコミュニケーションと社会発展にとっての障害とみなしがちである。しかし、エスペラントの共同体にとっては、言語の多様性は尽きることなく欠くことのできない豊かさの源泉である。 したがって、それぞれの言語はあらゆる生物種と同様にそれ自身すでに価値があり、 保護し維持するに値するものである。
もしコミュニケーションと発展に関する政策がすべての言語の尊重と支持に基礎を置くものでないならば、それは世界の大多数の言語に死を宣告するものであると、私たちは主張する。私たちの運動は言語の多様性を目指すものである。
日本エスペラント学会は、世界人権宣言50周年シンポジウムを1998年10月24日「人権としての言語〜言語権の思想と実践」をテーマとして東京で開催しました。その中でパネリストの中の中川裕千葉大学助教授は「アイヌ語復興の現状について」をテーマに講演を行いました。また、この日本大会では、北海道エスペラント連盟のアイヌ神謡集が朗読されました。
1997年の北海道エスペラント大会では山道康子アイヌ語学校のみなさんが参加しました。アイヌの人々の国際交流活動やアイヌ文化をエスペランチストや一般参加者に伝えてくれました。また、北海道エスペラント連盟総会で決定された方針の一つに「アイヌ語を大切にする運動を行っていく」とあります。具体的には以下のように述べられています。
*日本のエスペラント運動のなかで、アイヌ語を大切にする運動を北海道エスペラント連盟が中心になって推進する。
・プラハ宣言などエスペラント運動の重要文書をアイヌ語に翻訳、普及することによって、アイヌの人々の自らの言語を取り戻す運動を支援し、広く日本のエスペランチストに日本国内の言語的少数者の権利を擁護することの重要性を訴える。
・アイヌ語を使用できる人の連盟への加盟、再加盟を訴える。また、連盟員のなかでアイヌ語を学んでいる人を励まし、必要な援助を行っていく。
現在、プラハ宣言アイヌ語訳は、横山裕之連盟委員が完訳したものに対し、連盟の元事務局長でありアイヌ語学者の切替英雄氏へよりよい訳をめざしてアドバイスをお願いしているところです。完成しだい、ホームページにも掲載する予定です。
また、絵本「森のいろはカルタ」では、19言語訳の中にアイヌ語とともにエスペラントもはいっており、エスペラント関係機関誌・一般紙でも双方の言語名がならべて報道されています。
(1999.6.11現在)