1 大会報告 星田淳
2 シンポジウム予稿 ヤマサキ セイコー
第62回北海道エスペラント大会報告
星田淳 (北海道エスペラント連盟委員長)
昨年の第61回大会はそれ以前のと大きく変わったやり方がいくつかあったが、今年はそれを受け継いだところもあり、また変えたところもあった。
外国人来賓に早めに来てもらって講習会指導や後援をいただいたところ(道、市、教育委員会、国際交流団体、マスコミ関係)への挨拶回りをしてもらったのは前者。ただ外国人が来ただけではニュースでもないが、こういう形だと結構記事にしてくれる。ウラジオストクからの2人、
S-roj Aleksandr TITAJEV, Andrej S^ipilov はメーン行事(普通にいう大会、10月17〜18日、苫小牧)の前に札幌、小樽、函館、苫小牧を廻り地方会も訪問している。
10月17日午後、苫小牧港湾労働者福祉センター2階研修室で青年エスペランチスト交流会。spririte junaj e-istoj
は年齢制限なし。「青年を取り巻くロシアの現況とエスペラント運動」のテーマで始まったが、青年は何を学ぼうとするか、性差別はどうか、と話は発展し、ロシア・韓国・日本でかなり似た傾向があった。
Bankedo では1930年ごろ苫小牧で最初のエスペラントグループを指導した渡辺隆志さんの訳による「時計台の鐘」などを地元グループが歌った。地方会のだしものがもっと出ると、プログラムの堅い感じが和らぐと思う。
18日は3階大講堂で9時半から、札幌のS-ro 児玉、 S-ino 鈴木を正副議長に選んで北海道エスペラント連盟総会。総会議案書を全員に事前配布することは去年から始まった。この総会は過去3年で一番波乱なく終わったが、昨年大会のための名目で入国し不法滞在しているらしい一人について若干の質疑応答があった。去年なくて今年の総会にあったものは、Espero,Tagig^o
と記念撮影だった。
午後は同じ場所で一般市民を含めての講演、展示、パネルデスカッション。「人権としての言語権−アイヌ語・日本語・エスペラント−」では「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワークの小野代表、JEI
ヤマサキ理事長、だまされてタコ部屋に入れられ脱走した朝鮮人を父とし、かくまってくれたアイヌ部落の女性を母とするウタリ協会の小川隆吉さんが、内容豊かな所論を展開してくれた。
前世紀中頃の蝦夷地(北海道)と、ロシアとの間に国境のなかった北蝦夷(樺太・サハリン)を踏査した松浦武四郎の道を研究する会の調査報告と二十数枚の写真パネルの説明(梅木孝昭代表)が続いて行われた。
続く「ロシア極東とこれからの日本〜21世紀へ向けて〜」ではロシア人3人、日本人1人の意見発表に対し質問、討論が行われて全行事を終えた。この18日午後の行事は全体を通じて北海道の地域性(先住民との共生、ロシア人とのとの交流)にかかわる議論だった。
午後の討議中、突然風が強くなり外は暴風雨になった。ちょうど台風10号の北海道接近。しかし終わって解散するころは風は弱まり雨だけになっていた。
参加者総数は54名、内不在参加は15名。出席した外国人はロシア人4名、韓国人1名だった。
ヤマサキ セイコー (日本エスペラント学会理事長)
1.エスペンチストは言語権をだいじにしてきたある特定の言語が国際語として覇権を握ることに反対し,それをどの民族にも属さない中立の計画言語エスペラント語で置き換えることを主張してきた.
2.日本の少数民族,少数言語ここに問題にあることにようやく人びとが気がつき始めた.
わたしはこう考える:アイヌ語の問題は専門の方のご意見に待つとして,北方領土については国家的帰属よりも人びとの権利が損なわれないことのほうが重要である.漁業をなりわいとしている人びとの権利,先祖がだれであろうと,今そこに住んでいる人,昔住んでいながら,いまそこに帰ることができない人の権利などと並んで,だいじなことでありながら日本人の気がついていない権利,言語権がある.
a.「公用語」として国家語を押しつけない,
b.少数言語の教育を保証する,
c.隣人の言語を進んで習う広い心,
d.その上にどちらかの言語で話すのは他方にとって不利であることを認めること,
これを防ぐ道は中立計画言語の採用以外にないことに人びとが気が付くためにわれわれは努力する.
3.日本語の問題
エスペランチストすらこれに無関心の人が多い.日本語はむかし漢字,いま英語によってメチャクチャにされているのだ(「ゴージャスなマテリアルをリッチにユースして」).
ローマ字- カナモジ運動はかつては事務能率化が大きな動機だった.ワープロの普及によってこの問題は解決されたように見え,文字改革は理由を失ったかに見える.しかし
日本の文字改革は能率運動であるよりも日本語を守るのが本質である.
これを伝統を重んじて,新時代の要求に答え得ないとするのは見当違いである.伝統を守ることが効率的なのである.ドイツに留学した人がドイツでは下宿屋のおばさんが哲学用語を使うといって感心している.それは逆だ.哲学者がおばさんのことばで書くのがドイツである.
ローマ字とカナモジとエスペラントという3つの言語の革新的な運動が連帯しなくてはならない.いまそれがバラバラなのはそれぞれに責任がある.まず互いに悪口をいわないことである.それから互いに勉強し合わないといけない.ローマ字論者でカナは不徹底だからダメだという人がいる.わたしは2段階革命論である.
エスペラントをこどもに教えている小学校の先生がいる.「まずアルファベットを教えないといけないので大変です」と言う.小学校でローマ字教育を熱心にやっている先生がいるのにその存在すら知らない.そこで手を握れるではないか.戦後の日本が民主化の熱に燃えていて,国語審議会が保守派の手に握られる前は国語以外の教科を全部ローマ字で教えた実験学級があった.その人たちはすこしも学力が劣っていなかった.大学教授になった人が何人もいる.そしてローマ字教育は良かったと言っている.ローマ字は国際的な文字である.エスペラントの国際主義と精神において近いのである.
いっぽうローマ字教育に熱心な人びとは英語だけが外国語で小学校から英語を教えるなどということに疑問を示さない.
エスペンチストは日本語の固有名詞を書くのにエスペラント式の綴りを使う.つまりアルファベットは外国の文字で,日本人の名まえを書くのは日本の中学生が英語の教科書にカナをふるのと同じ便宜的な記号にすぎない.だからあの外務省が旅券に強制している,理論的には論破し尽くされたヘボン式と同じものであることに気が付かない.ローマ字は漢字,カナ,アラビア数字と同じ日本の文字である.外国の文字ではない.
北海道はその他の地域と違う.わたしは北海道にこそ期待している.
古い歴史のあるアイヌ語原の地名が意味とはまったく関係のない漢字に踏みにじられている..ではカナでいいか.カナは日本語の標準的な表記だから,これでどう表すかは研究して決めないといけない.しかしカナはアイヌ語を書き表せない.ローマ字にせざるを得ない.とすると道しるべにはカナとローマ字の日本立てにしないといけない.