[Al la paĝo pri la Hokkajda Kongreso de Esperanto]

第80回北海道エスペラント大会 報告

- La 80-a Hokkajda Kongreso de Esperanto -

Jen estas raporto pri la 80-a Hokkajda Kongreso de Esperanto
okazonta en Sapporo la 22an/oktobro - 23an/oktobro, 2016.
en la Centro de Hokkajdanaj Agadoj (Kaderu 2-7)

Hokkajda Esperanto-Ligo


La 80-a Hokkajda Kongreso de Esperanto
第80回北海道エスペラント大会
時:10月22日(土)~23日(日)
所:道民活動センターかでる2・7
参加者:24人(うち不在参加1人)

Raporto pri la 80-a Hokkajda Kongreso de Esperanto (HEL)
en la Centro de Hokkajdanaj Agadoj Kaderu 2-7 (Sapporo)

    ◇22日:
午前9時半〜12時JEIエスペラント学力検定試験3、4級(受験者5人)
午後1時から後藤義治の司会で大会を開会。
JEI理事長からの挨拶を代読。今年度の活動報告、次年度の活動方針を提案。委員は、全員留任。次に、サハリンでのエスペラント普及活動報告を予定していたが、機械の調子が悪く中止。急遽、堀泰雄さんの映像クイズ等を楽しんだ。
5時半から近くの蕎麦屋で堀さんの歓迎会を兼ねバンケード。最後はビンゴで盛り上がった。(参加12人)

    ◇23日:公開講演会(午後1時から4時)

演題:「東日本大震災から何を生み出すべきなのか〜国際共通語エスペラントで語ってきたこと〜」
講師:堀泰雄さん
「私は、東日本大震災を自分の事として受け止める決心をした。それで震災を本や写真集にしてエスペラントで世界や国内に報告する活動を続けている。又、NHKラジオ深夜便で唐丹町の子ども達支援運動についても呼びかけた。」等、映像を見せながらエスペラントが本当に役立ち、世界を変える力になる事を歌や詩の朗読も入れ熱く語られた。
(後藤純子)
   
 堀さんは映像を見せながら話し始めたが、マスコミやジャーナリストが撮ったものとは一味違う「実際にそこにある映像」を使い、形容詞や大言をさけて、真実だけを伝えるかのように原稿を見ながら譲演は進められた。いつもの陽気な堀さんとは違っていた。
 大地震の凄まじさ 映像は石巻、陸前高田、釜石から唐丹へと移る。建物は地に伏し、瓦磯は散乱し、車は形をとどめない。漁村だというのに船の姿はない。高台に建つ曹洞宗盛岩寺でさえ浸水した。
地震は建物ばかりでなく、庶民の生活まで蹂躙する。架段住宅は命の保障はするだろうが、生活への気力は養えるのだろうか?
 津波の恐怖 海岸線には何十年も嵐と波涛に、びくともしなかった百トンを超える防波堤がひっくり返っている。漁師たち先祖代々が住んでいた家々は土台を残すのみ、雑草が一面を被っている。
 エスペラントがなしえた事 こんな情報をネットで世界の300人ものメル友に発信する。多くの反応があった。チェコの子供たちから紙で蝶々を作って避ぶ映像と紙の蝶々が送られてくる。唐丹の子供たちがそれで遊ぶ姿がチェコに返信、チェコでは大評判になり義援金へとつながっていく。フランスへ行けば、各地で講演会を依頼される。フランスは原発の国、危惧する人々も多い。当事者でさえ想定外という必然の知恵が欠落した原発の実態を知って、大きな反響を呼んだ。エスペランチストだからなしえた事だ。
 東電福島原発 農地には黒いビ二一ル袋に詰められた除洗放射性廃棄物が累々と置かれている。原発では今も放射性汚染廃棄物が出続けている。廃棄物は農家の玄関先にも積み上げられている。家族は毎日その前を通る、妊婦だって、子供だってだ。削った表土の下も、屋根を除洗した水が流れる側溝も放射能は基準値を超える。
 飯館村は今「いいたて」と濁らないのが正しい読みだ。かつて「日本で最も美しい村」に選ばれたことがあるという。福島原発からは4OKm以上も離れており、危険区域ではなかったはずだが、北西の風が大量の放射性物質を運んできた、当然住めない村になった。
だが政府が避難を求めたのは1カ月後だった。今はニ軒の農場主が国からの屠殺指示牛数十数頭の余生を見守っている。悲しい限りだと結んだ。
(参加者20名、内一般市民5名) 
[Herlodo 第168号より]