【日本手話と日本語対応手話(手指日本語)について】

 「日本語対応手話」は、日本語の文法に沿って表現されるため、「手指日本語」とも呼ばれています。「日本手話」は、手以外も使って表現しますが、手の動きだけでなく、NM表現(NMはNon-Manualの略。日本語では非手指表現とも呼ばれる)と呼ばれる顔や肩などの動き、眉の動き、目の開き方や視線などが重要な役割を果たします。「手指日本語(日本語対応手話)」は、基本的に手と口形のみで表現しており、日本手話の単語を借りて日本語の言語構造にあわせて表現するものです。日本手話とは異なる言語で、「手指日本語」は、日本語の変種ということもできます。
https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2023/97273/disability から引用)

 日本手話は日本に住むろう者によって話されている手話言語で、日本にろう学校が設立された1878年以降にクレオール(混成語)として誕生したと言われています。母語話者人口は約6万人程度と推測されています。おもに、ろう学校の児童コミュニティを通じて伝承されてきました。昭和40年代以降ろう学校の生徒数の減少によって伝承コミュニティの基盤がゆらいでおり、母語話者数は減少傾向にあります。地域方言はありますが、共通語がある程度形成されており、相互理解度は比較的高いと言われています。

 欧米の手話言語はその歴史的経緯から系統関係が認められることが多いですが、日本手話は日本で独自に生まれたものです。なお、植民地支配時代に日本が韓国と台湾にろう学校を設立した関係で、韓国手話と台湾手話は日本手話と語彙の共通性が高く、日本手話語族とされています。手話言語は一般にその地域で話されている音声言語およびその正書法から語彙を借用するためのシステムを発達させています。指文字はその代表であり、ラテン文字借用のための指文字は広く欧米に伝播しています。日本のかな文字借用のための指文字は独自のものですが、一部にラテン指文字の借用がみられます。また、漢字使用圏では漢字借用のためのシステムも発達してますが、日本手話のそれは他の漢字圏、たとえば中国手話のものとは関係がありません。手話言語同士の言語接触については、とくに発展途上国などでは複雑な状況を生んでますが、日本手話は他の手話言語の影響をほとんど受けていません。
http://slling.net/wp/contents/outline/ から引用)

 「手指日本語(日本語対応手話)」は、口話の補助手段として日本手話の語彙や文法の一部を借用したコミュニケーション様式が存在し、非母語話者を含む場面においてリンガフランカ(共通語)として機能しているという方もいらっしゃいますが、聴者(耳が聞こえる人)は、手単語を覚えるだけで手指日本語を話せるようになりますが、ろう者については、手単語に限ればたくさん知っていますが、日本語に置き換えることができない手単語は、手指日本語では使えません。手指日本語で用いられる手単語は限定的です。(使えない部分は、)ろう者は手を動かしながら口話をします。口話は手話ではありません。日本語です。
 リングブランカは、共通の母語を持たない人同志のコミュニケーションツールとして、別の言語を使うことをさすのですが、聴者の手指日本語は、自分の母語を手指で表現したものになり、リングフランカとして適切ではないと言えます。
(木村晴美 (2011) 「日本手話と日本語対応手話(手指日本語)」 生活書院 などから引用)

 日本の文部科学行政では、ろう学校であれ、一般の学校であれ、学校では日本語を学ぶことを暗黙のうちに大前提としている。また小学校に入学する子どもたちは、入学前に既に音声日本語についてはこれをマスターしているという前提で指導要領が作成されている。小学校で学ぶのは、その音声日本語能力の鍛錬や書記日本語についての学習である。ろう学校でも同様に考えてられるため、一般の学校で用いられているのと同じ教科書とカリキュラムが使用されているが、そのために、耳からの音声日本語のインプットを持たないまま、ろう学校の小学部に入ってくるろうの子どもたちにとっては、最初のスタート地点から聴児の教育とは差が付けられていることになる。この差を埋めて聴児並の授業をしようと、ろう学校教員は日本語を子どもに教えるのには、日本語の一形態である手指日本語を使うことが良いことだと盲信してしまっているケースがある。しかしながら、媒介言語も持たず、授業言語についての深い考察もないままに、いきなり目標言語と同じ言語を用いて、聞こえない子どもにはバリアのある日本語で子どもたちを教えようとすることがどれほど無謀な試みであるかは、説明するまでもないであろう。日本語を母語として獲得できているわけでもない、ろう児にとっては、手指日本語は、まったくの外国語である。媒介言語でもない。少なくとも、ろうの子どもたちが出生から間もない時点でも自然言語として手指日本語をまず獲得したという報告は世界のどこにもない。彼らが親から学ぶのは、基本、自然言語であり、それは日本手話である。
 子どもたちにとってもっともバリアの低い自然言語を学ぶ機会を保障するというのは、ろうの子どもたちの人権の問題である。聴児が自然に日本語に囲まれた環境で日本語を獲得するのと同じように、ろう児は日本手話を獲得できる。
( 第1章 日本手話とはどういう言語か 森壮也 「日本手話で学びたい」 (2023) p17-24 ひつじ書房 から引用 )

 「ろう者の第一言語である日本手話で学習を受ける権利」を考える際には、まず以下の点を確認する必要がある。
・日本手話が日本語と全く異なる言語であること
・日本語対応手話(手話アシスト日本語)は、日本手話の代わりにならないこと。
・子どもの学習のために、早期の安定した(日本手話の)言語獲得が重要な役割を果たすこと

 日本語対応手話(手話アシスト日本語)においては「言語音を時間軸に沿って連結する」日本語の本質が保たれているため、日本手話を母語・第一言語とする話者にとって円滑に理解できるものではない。日本語対応手話(手話アシスト日本語)はあくまでも日本語を母語・第一言語とする話者に最適な補助コミュニケーション手段である。
( 第2章 ろう児の発達における日本手話の重要性 松岡和美 「日本手話で学びたい」 (2023) p25 ひつじ書房 から引用 )

 「日本手話」と「日本語対応手話」は、ひとことでいうと「語彙の一部が共有された別言語」である。すなわち、両言語間のコミュニケーションは、単語を用いて「何について話をしているかを伝えることができるレベル」に限定されており、「何がどうなっているか」を伝えることができない。「日本手話」と「日本語対応手話」では、文法体系が全く異なる。「日本手話」は視覚による情報伝達を効果的に行う文法体系であるのに対し、「日本語対応手話」は音声日本語の文法に従っており、耳で聞いた場合に効果的な文法体系になっている。

 当事者団体である全日本ろうあ連盟が「日本手話」と「日本語対応手話」を区別しないという立場であることはよく知られている。これまで聴覚障がい者やろう者が社会的に差別されてきた背景を考えると、全日本ろうあ連盟の意図するところは、「使う手話の習得度や種類によって手話話者が社会的に区別(差別)されるべきでない」、という主張であると、著者は解釈している。使う種類によって、聴覚障がい者の中で差別や分断が起きるべきでないという切実な想いが全日本ろうあ連盟の主張には込められていると、筆者は理解しており、その想いには大いに共感するところだ。ただしこのことは文化的・社会的な問題としてとらえるべきものであり、言語の実態とは切り離して考えなければ、「日本手話」と「日本語対応手話」のどちらかが排除されてしまい、結果として聴覚障がい者の間での分断を生みかねないと危惧している。
( 第3章 日本手話と日本語対応手話の特徴と違い 菊澤律子 「日本手話で学びたい」 (2023) p51-52, p56 ひつじ書房 から引用 )

世代別に見たろう者のアイデンティティ
 伊藤政雄氏は「ろう者のアイデンティティ確立のために」(『MIMI』第60号、1993年)に明治から現在までのろう者のアイデンティティの移り変わりをうまく述べている。
 明治生まれのろう者の場合、「『人の言うことを良く守ること。どんなことがあってもじっと我慢すること。ろう者としての人生は、何でも忍耐だ。』という考えは、明治のろう者の最高の人生訓だった。(中略)ろう者は泣き寝入りの人生を送っていたのだ」「『ろう者のアイデンティティ』が無残にも押し潰されいた」時代である。
 大正生まれのろう者の場合、「口話法を採用し始めた大正時代から、口話を身につけたら普通の人になれると信じて、これまで使っていた手話を排除しようとするろう者が急増した。世の人々に嘲笑される手話は排除しようとするのは馬鹿者が使うものであると信じ込まされ、手話を否定して健聴者に近い人間になりたいと願望するろう者が増えていった。(中略)その頃からろう者自身が手話に対する罪悪感、嫌悪感を持つようになった。」「『ろう者のアイデンティティ』の分裂状態」の時代である。
 昭和初期生まれのろう者の場合、戦争中の厳しい手話禁止の環境に育てられていた。戦後、全日本ろうあ連盟が発足し、活動して、「これまで長い間社会的抑圧を受けてきた諸問題があきらかにされ、ろうあ運動によって次々と解決されるという体験を身をもって知るようになった。ろう者の社会生活上の諸権利は自分達の力で勝ち取ることができることを学んだ。ろう者のアイデンティティの確立の萌芽がみられるようになったのは、戦後になってからであった」と述べ、ろう者のアイデンティティ確立の萌芽の時代である。
 以上をまとまると、ろう者のアイデンティティは、押し潰された時代→分裂の時代→確立萌芽の時代と移り変わっている。
手話ということば 米川明彦 PHP親書 2002 p203-204 から引用)