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For malbona lernonaniero 要領の悪い学習法に固執するのはやめましょう
Betululo  (KABAYAMA Yu^suke : kabajama juusuke)
樺山裕介

Mi vidis, ke rondanoj legas libron cirkle.  Esparenta voc^o tute mankas krom tiama leganto en sia vico.  Kiam ili trafis nekompernaj^on, ili diskutis konsultante E-japana vortaron.  Multaj el ili ankorau~ ne povas bone interparoli en E.  C^u tia lernado bone faros ilin esparantistoj, kiuj povos komuniki alilandanojn?  Mi opinias, ke tia lernostilon influis la intruimaniero de anglalingva kurso en lernejo en Japanio.  En 19a jarcento por la japania progreso necesis bonaj legantoj de okcidentaj presaj^oj.  Tial en Japanio la edukadon de fremdlingvoj okupis nur legado de tekstoj ec^ g^is lastatempe.  Krom tre tre malmultaj japanoj, japanoj ne povas komuniki alilandanojn per la angla post sesjara lernado en lernejoj.
   Mi volas averti, malkateni kaj kurag^igi  tiajn esperantamantojn for de malmoligita ideo pri la lernado de fremdlingvo per mia sekvanta japanlingva artikolo.

 みなさん、エスペラントの音読をしているでしょうね。えっ、していないんですか? それは、いけませんよ。この記事を読 むのを一時中断して、辞書の例文でも教科書でも、読みかけの本でもパンフレットでも、このHeroldoのなかのエス文記事でも何でもいいですから手に 取って、今、すぐに、大きく口を動かして音読してください。dekstra(右)は「デクストラ」ではありませんよ。「デエエkst(巻き舌の)ラア」で すからね。「左」は「マアlデエエkstラア」ですね。

 入門~初級講習を受け ているAoさんは、教本やプリントに出てくる数ある単語のすべてを、おろそかにせず、完璧に覚えようと努力します。文についても、腑に落ちないところがあ れば、先生が納得のいく説明をするまで食い下がります。自分が納得できなければ先へ授業を行かせません。テキストに出ているエス単語や文は、すべてていね いに日本語に訳されてノートやテキストに完全に書き込まれています。
 いっぽう、Aoさんと同じ講習を受けているBoさんは、どうも、自分が興味の ある単語だけしか、まじめに覚えようとしないようです。文法用語さえ、どうもよく理解していないらしく、でたらめなエスを、周りの空気も読まずにしきりに 話しかけては、面白がっているようです。Aoさんは、決まりきったあいさつことば以外は、失敗するかもしれないので、決して自分からは口にしません。間違 いを指摘されると、Aoさんであれば恥辱に身を震わせるのに、Boさんの場合は、かえって本人が自分の間違いを面白がって喜んでいる始末です。
 すると、まじめな Aoさんは、ふざけたBoさんを尻目に、真のエスペランティストになるでしょうか?
 逆です。近い将来エスペランチストになれるのは、不真面目なよう に見えるBoさんの方です。Aoさんは、自分を変えない限り、いわゆるEterna Komencantoすなわち「永遠の初心者」のままで一生を終えるでしょう。これは、手段と目的を取り違えたうえに、自尊心の殻に逃げ込んだまま、己の 殻を破る勇気の無いAoさんの自業自得です。Boさんは大きく先の世界を想って、優先順位を決めていました。めざすは地球に広がっているエス世界です。そ うでなければ世界語エスをやる意味がありません。講習は、そのための踏み台であると割り切っていました。いっぽう、Aoさんは教室の日本人どうし閉鎖小集 団での、内向き優等生に終始したのです。
 AoさんもBoさんも、6年間も学校で英語の授業を受けてきましたが、ふたりとも英会話ができません。Aoさ んにとって、外国語学習とは、和訳や作文の定期試験で、長い英文が書かれた教科書と、それを和訳したノートを覚えて、高い点数を取ることでした。英語は聴 き取れないし話せないけれども、それは英語が難しいからで、易しいエスならば英語の試験勉強と同じやり方で、できるようになると信じています。
 いっぽう、Boさん は、旧文部省、現文部科学省以下、教師と生徒たちの末端に至るまで、根本的にやりかたがずれていたから、高校を卒業しても、自分も他人も全く英語ができな いのだと思っています。英語国の市民でさえ読むのが難しい英論文を読まされているのに、簡単な会話や聴き取りもできないという、現場で使えない受験優等生 の仲間入りをするのがアホらしくてなりません。むしろ英語をやるなら民間の英会話教室のほうが自分の方向性に合っているのだろうなと考えています。Boさ んの友人Coさんいわく、幕末から明治にかけて列強の仲間入りをするために洋書翻訳に力を入れた国策教育を、時代が変わった現代までも惰性で引きずってい るのだそうです。最近は変わってきたようですが、定年後にエスを始めたAoさんの世代は、旧式の教育しか知りません。

 Boさんは「1月、2 月、・・・」にあたるJanuaro, Februaro...を、入門教科書には必ず出てくるにも関わらず、なかなか覚えようとしませんでした。la unua monato,  la dua monatoで代用が効くし、合理性からいっても、そうあるべきと考えたからです。そこで、unu,du...cent, milの方を覚えることを、がんばりました。代用は効かない、どこでも出てくる、それが数詞ですから、12個ある長ったらしい月名を覚えるより、覚えがい も、実用性もありました。
 AoさんとBoさんは「エクスプレス・エスペラント語」という教材で勉強を始めました。楽しく学べるように笑える小咄仕 立ての対話が例文になっていました。著者は話を面白くするためのセリフを作るのには基本単語だけでは間に合わなかったようで、「Zoologio 動物 学」という単語がでてきました。Aoさんは、この単語をも覚えなければと、がんばって覚えました。Boさんは、こんなめったに出てきそうにない高等単語 は、作者が話を面白くするためだけに使った調味料だとわかったので、主食を食べなければならないときに、調味料などかまっていられないとばかり、ひと笑い してうっちゃっておきました。Boさんは、ネタよりもネタで味付けされた覚えるべき文法のツボをおさえると、次に「動物」をエスで何というのかが気にな り、さらに植物をも含めたもっと広い「生き物」をエスで何なのか気になりました。「雨」という単語を見て、雨は水でできているから、「水」という単語の方 が大事だな。そういえば「水」から「雨」以外にも「氷」「蒸気」「雪」「雲」「川」「海」ができるな。これら水の仲間をエスではどういうのだろう?・・・ という発想ができるかできないかが要領を左右します。一生に10回出会うだろう単語より100回出会うだろう単語、100回出会うだろう単語より1000 回出会うだろう単語、1000回出会う単語より10000回出会うであろう単語に、脳細胞の限られた力を費やしたほうがいいに決まっています。たとえば、 「ぼんのくぼ」「アキレス腱」という単語を「手」「頭」より先に覚えるのは、ばかばかしいでしょう。だから、入門者にいきなり、分厚い辞書や教材を押し付 けるのは、ミスリードです。プレッシャーで押しつぶされた生徒さんもいました。そうでない初心者も優先順位を見失います。ほんとうに大切な単語だけにし ぼった薄くて文字が大きな基本単語集だけでいい。できれば図解本がいい。入門は基礎を固める段階です。辞書は、初級に入ってからで充分です。
(秋田の後藤文彦氏 は、ホームページで、西洋人が無秩序にエスに持ち込んだ学術用語などの高等語根は、平易な基本語根の組み合わせで置き換えるべきだという主張をしていま す。この意見は当の欧州人たちにも問いてみたところ、そのとおりだという答えの方が多かったそうです。もちろん私も同意見です。)

 文法を苦手とするBoさんの座右の銘は、「今、わからなくても、いつかきっと、わかる日が来る。それで、いいじゃない か。」です。「わからないけど、何かそうである理由があるからそうなんだろう。それでかまわないから先に進みましょう」Boさんとて、いつまでもわからな いままでいいとは思いません。しかし、日本人に生まれ、日本人の思考回路のなかにどっぷりつかってきた自分が思考回路を変えるのには、一回ですむものでは なく、パターンの積み重ねのなかで概念を実感していくしかなかろうと考えています。それまでは試行錯誤を重ね、わからないものはわかるまでわからないま ま、そんなものだと心に止めておくしかないと、腹を決めているのです。
 Boさんは、すでに己を相対化する心の準備はできています。無意識に常識だと 思い続けていたことが、非常識だった。民際交流では必ずあることです。しかし、それは、ことばにならないことが多い。その説明につかわざるを得ない日本語 が、すでに日本語自身に束縛されているからです。だから、エスについて日本語による解説も限定されたものにならざるをえません。エスに対応する日本語が1 対1で存在するわけがないのです。エスはエス、日本語は日本語で別世界を作っているのです。「エスとしてわかる」までは宙ぶらりんも、やむをえないので す。そのくらいの心の余裕は持ちましょう。そして別の有意義なことに精を出した方がいい。
 Aoさんは、なにがなんでも、日本語的に解釈しないと不安なの です。これは、民際交流における相互の相対化、中立空間の精神に反することです。ここで無理に日本人流に解釈して近いもので結論とすると、その近似値にす ぎない仮の結論を絶対化してしまい、他民族の人とまともに交流できなくなります。これは、エス和辞書の記述を絶対視する人に多い落とし穴でもあります。 Partopreniを辞書で引いたら「参加する」だから、partopreni alとやってしまう間違いなどが、そうです。見たまんま素直に、部分partoを取るpreniというイメージができていれば、enに決まっているでしょ う。「で部分を取る」です。大会の一員となる、100のなかの1の空間を取る、100ある席のひとつを取って座ることです。日本語の「参加」の発想とち がっていると文句をいっても、それは日本語のほうの勝手な都合で、エスに文句をいうのは筋違いです。どうしても「参って加わる」からalにしたければ、 alig^iがあります。エス和辞書の日本語は等号=ではなく「強いて日本語で言うならば」だと解釈してください。ちなみに私は、エス和辞書を持っていま せん。もっぱらエスエス辞書を使っています。日本語で何なのかがわからなくても平気です。イメージや概念、正確な意味がしっかりしているからです。エス界 で生きるには、そちらの方が大事です。エスエス辞書を引いても、それでもよくわからないものは、「あせらなくても、いつかそうだったのかとわかる機会が来 るだろう」と、だいたいのイメージで済ませています。

  エスは、一次的に 「聴く」「話す」「読む」「書く」であり、二次的に「歌う」「翻訳する」「通訳する」「創作する」「教える」「活動する」などになります。
 「読む」だけに専念 したいとか、例えばネット環境で「書く」ことだけに専念したいとか、「歌う」だけ、「教える」だけ、「翻訳する」だけ、はたまた「研究するだけ」という意 志をもっている人がいれば、否定しないで尊重します。実りをエス界を通じて世界に寄与しようとしているのですから感謝したいくらいです。ただ、ここにおい ては、エスの一次機能「聴く」「話す」「読む」「書く」能力を身につけて、世界のエスペランティストたちと応答しあえるエスペランティストになりたいと思 う読者のみを対象とさせていただきます。エスの門をたたいてくれた人たち、特に若い人たちは、ほとんどがそうであろうからです。その人たちを迷わせたり、 失望させくないのです。
 Aoさんは「読む」エス文和訳をやっていれば自然と残りの項目もできるようになるのではないかと、ばくぜんと思っていま す。甘い考えです。
 まず、その「読む」ですが、Aoさんは、正確で適切な日本語の文章を一生懸命探しているうち、エスで苦労するよりも日本語で苦労する 時間の方が多くなってしまいました。
 Boさんも、Aoさんと同じくエスをやることで、かえって自国語の難しさに気づきましたが、彼が講習に来た目 的は、日本語ではなく、あくまでエスです。まずエスが急務ですので、意味が実感としてわかれば良しとして、日本語訳はパスして先へ進みました。その結果、 Aoさんの何倍もの量を読むことができ、より多くのエス文章に慣れていきました。はじめは歯が立たなかったエスの羅列も、数をこなしたおかげで、自然と意 味を持って目に飛び込んでくるようになりまた。上級者ゆえにできる文学作品の翻訳は、してみたいと思うけれども、まだ無理なので、将来、エスと日本語の両 方の文章能力がもっと上になってからやりたいことのひとつとしてとっておくことにしました。
 Boさんは「聴く」は聴くことをしないと、「話す」は 話すことでしないと、「読む」は読むことをしないと、「書く」は書くことをしないと、できるようにはなれないと思っています。(なお、音読は、これら以前 の必須基本科目です。)だから、あらゆる機会を使って話そうとし、間違いを指摘されると、その瞬間に、取るにたらない恥をかいたことと引き換えに、正され たことで上達できた変化を実感して喜ぶのです。まちがったエスを話すことはやましいですが、向上のためなら許されます。まちがいを恐れて話さないことは もっとやましいのです。
 「聴く」訓練は、カセットテープかCDの教材を、何度でも繰り返しわかるまで聴くのが良いでしょう。Liza kaj Pau~loやレザ・ヘイルハーさんが作ったNajtingaloシリーズ、アニメMazi en Gondolandoなどがおすすめです。先生に同じ文を繰り返ししゃべってもらう手もありますね。
 「話す」ことの産みの苦しみから逃げてはいけませ ん。ここでは正確さは後回しで、勇気とねばりが優先されます。発想の転換の試行錯誤です。初級者である段階で、誘われて、カワハラカズヤさん、富田美奈子 さん、後藤丈次さん、佐藤英治さんと、札幌市北区の喫茶店ひらひらで、毎週のエス会話の集いに参加していたことを思い出します。ほとんどJesかNeしか 言えず、他のことは、どのように言っていいのかわからず、ウンウンとうなってばかりでした。頭に浮かんだ単語をばらばらに言ってみるしかない。はずれてい ることはわかっているが、なんとか察してくれまいか。日本語で言えば一言で終わることが、いろいろなエスもどきで言ってみても、なかなか通じない。もどか しい。時間がかかる。このもどかしいあがきが必要なのです。必要不可欠な産みの苦しみなのです。(音読は安産体操です。)その結果、たとえ10回連続で意 思疎通に失敗しても、1回でも意思疎通に成功すれば、エスペランティストになるための貴重な進歩です。さらに、そこまですらも及ばず失敗だけで終わってし まったとしても、失望することはありません。あなたの脳細胞の奥には次の成功につながるための芽吹きが確実に生まれています。とにかく、ここで日本語に逃 げてはもとの木阿弥です。あなたはEterna Komencanto永遠の初心者への甘い誘いに乗ってしまったのです。琵琶湖のほとりで、若手中心に合宿をしたときも充実していました。私より優秀な年 下の大学生たち相手に、乏しい己なりのエスで、いっぱいいっぱいになりながら答え、話しかけることで能力を引き出してもらいました。日本語を許さないエス だけの合宿だから、できたことです。
 「書く」練習は作文をして添削をしてもらうことになりますね。こちらは正確さを鍛える練習です。そのいっぽう で、ひとつのことを表すのにも、ルールさえ守ればこそエスではいろいろな表現のやりかたが可能であることがわかれば、甘口なり辛口なり好きな味で料理する エスの楽しみが広がるでしょう。
 入門講習を終え、初級に入ったら、例えば2時間あれば、30分ずつ「聴く」「話す」「読む」「書く」に使う講習が理想で はないでしょうか。

 この物語はフィクションです。Aoさん、Boさん、Coさんは架空の人物であり、実 在の人物とは、いっさい関係がありません。

0 Voc^legu.
1 Prefere lernu pli bazajn vortojn kaj postlasu malpli bazajn en unua etapo.
2  Ne staru tro longe en analizado de nekomprenaj^o. Trankvilig^u,  iam postatempe dum via lertig^o vi certe komprenos. C^u vi estas malkontenta?  Okupig^u pri aliaj pli esencaj valoraj^oj.
3 Volu farig^i lerta pri la kvar funkcioj de Esperanto egale ; "Au~sukulti", "paroli", "legi", "skribi".
4 Ec^ kiam nur japanoj estas en esperanta rondo, Esperanto estas c^eflingvo kaj la japana lingvo estas helplingvo.


0 音読しましょう
1 覚える単語は、よ り基本的なものにしぼっていきましょう。常に単語の基本度のランク、頻度のランクを考えましょう。残りは、後に縁なり必要性なりがあれば、そのとき改めて 覚えればいいのです。
2 わからないことには、くよくよ悩まずに、やっていれば、いつかわかる日が来ると割り切って、先へ進みましょう。
3 「聴く」「話す」 「読む」「書く」の4つを等しくできるようなエスペランティストになろうと意識して努力配分しましょう。
4 エスでは日本人同士 であってもエスが主で日本語が従です。日本語は、どうしてもやむを得ないゆえの補助語にすぎません。
5 語学の敵は羞恥心です。自分を変えましょう。殻を 破りましょう。