[Heroldo de HEL N-ro 100(decembro 2004) より]
HEL機関誌の変遷(Historio de la organo de H.E.L.)
HOSxIDA Acusxi

 歴史を振り返ってみると北海道エスペラント連盟は「大本」によって設立された、といってもよい。当時のメンバーが全部大本の信者だった、というわけではないが、エスペランチストの組織を作ろう、という点で、信者・非信者の気持ちがよく一致していたようである。1932年の第1回北海道エスペラント大会は当時の「大本エスペラント普及会北海本部」が準備して、北海本部のある山部(現在富良野市山部)で開かれ、北海道エスペラント連盟の創立が決定された。

 連盟本部は帯広エスペラント会におく、となっていたが、実務は大本に委託され、大本北海本部内にエスペラント連盟事務所がおかれていた。

 1934年の第4回大会(小樽)で、連盟本部は札幌へ移ることになったが、この2年間機関誌として「連盟会報」が4回発行され、これ以後は札幌の本部(南6西13 相沢治雄方)が発行した。今のB5よりやや小さいページにガリ版(トーシャ版)印刷。何号まで出たか不明だが、1939年から誌名を・H・E・L・ に変えた。寸法、体裁は同じ。発行所は連盟本部(札幌市豊平5条9丁目 相沢方) その後時代は戦争へ向かい、1941年末には太平洋戦争に突入。機関誌も出せず、代わりにMigranta Gazeto(書き込み回覧ノート)を地方会に廻したが、長くは続かなかった。1945年 8月敗戦、第2次世界大戦終了。

 エスペラントなどの文化活動・市民運動・労働運動などへの権力の監視・干渉は消え去り、運動は各地で復活。1942年の第10回以後中断していた大会は1946年の第11回から復活。機関誌(Cirkulero de HEL)発行が決定された。B5版4(+x)ページ程度、ざら紙(下級紙)ガリ版印刷。  Cirkulero de HEL No.4(Jul.1947) で、「今後当分の間、隔月発行としてページを増し ・・・・ 総合雑誌とし、題(名称)も募集 ・・ 当選者には賞品を差し上げる」とある。

 この新機関誌の発行はだいぶ遅れて1949年 1月、EL NORDO の名で第1号が出た。B5版12頁、内容は大会記事、連絡事項が多く、めざした「総合雑誌」にはちょっと ...の感じだが。発行所は「札幌郡白石村上白石2区 相沢治雄方北海道エスペラント連盟」。第2号はこの年の10月、B5 X4頁で出た。

 一方小樽では S-ro D-ro 山賀勇を中心に '46 〜 '47 年頃組織(Otaru-Esperanto-Asocio)が再建され、機関誌 VERDA HAVENO は 1950 年までに6号出ている。このとし小樽であった第14回北海道大会の記事は VERDA HAVENO にだけ出た。--- ということは、連盟機関誌(EL NORDO)は jam dormanta だったらしい。 1952年7月、小樽で LEONTODO が ETA LITERATUR GAZETO:ELDONITA DE OTARU-ESP.ASOCIO として発刊された。会員が自由に思うことを書く同人誌のような感じで始まり、2〜3号から表紙が美しい色刷りになり内容も充実して行く。エスペラント文もだんだん増えてきた。

 その後2〜3ヵ月ごとに発行され、小樽以外からの投稿も増えてきたが、1953年の第17回北海道大会(小樽)で「LEONTODOを HEL機関誌にする」との提案があり、否決。翌54年の18回大会(札幌)でも提案されたが、今回は三つの選択肢を次々に検討して賛成多数になった「HEL 機関誌にする」ことで決定された。1955年1月号から目次の上に「北海道エスペラント連盟機関誌」の文字が入ることになった。

 1971年はじめから北大生を中心としたグループ Rondo Nordo のメンバーが中心になって発行した NE・FLOKOJ は、力不足のHEL機関誌活動を補ってこの1年間に9号発行された。規則的な発行が難しくなっていたLEONTODOに代わってこれを機関誌にしようとの提案がこの年の第35回北海道大会で出たが、LEONTODOに対する愛着の感情は根強く、決定保留(事実上の提案撤回)となった。 NE・-FLOKOJ派(?)は、根回しして翌年再提出、という細工はしなかったので、これきりになり、その後は同人誌としてしばらく続いたが、あの意欲ある活動が、HEL会員によく理解されなかったのは惜しまれる。

 この次に来た「機関誌危機」は1980〜82年の間に LEONTODO が3回しか出なかった沈滞期。「必要な連絡は紙1枚でも、年4回ぐらい -- 」と、Heroldo de HELの発行を始めた木村委員長の iniciato は見事だった。こうして1982.12.1, Heroldo de HEL N-ro 1 発行、その後曲折はあったが、今回100 号を迎える。一方 LEONTODO は N-ro 69(1983. 9.10)を最後として発行されていない。この経過は Heroldo de HEL N-ro 50(dec. 1993)に出ているので省略する。今まで何度もあった「機関誌危機」を振り返って、こんな場合にどうするか、考えてみませんか。