「東方見聞録」を読んでみよう

                         SES 後藤義治

 重蔵さんが最後に翻訳をしていたのがマルコ・ポーロの東方見聞録(エス訳 La Libro de la Mirindajoj aux La Priskribo de La Mondo)だ。マルコ・ポーロは中世ベネチア共和国の市民で1254年の生まれだ。彼は父ニッコロと東方貿易に従事した商人だった. 11世紀末十字軍のシリア遠征に便乗して北部イタリアの諸都市は競って船団(Convoglio)を編成し、軍事力を背景に通商路線を開拓した。コンボイは黒海を縦断してクリミヤ半島にまで達していた。先々で商館を築き、それが程なく領事館に取って代わるという、国ぐるみの謀略でもあった。1925年ベニスに帰還したマルコは世界を駆け巡った冒険者としてもてはやされ「ホラ吹きマルコ」の異名をとる。が、また一方では金、銀、絹、香料等の新しい商圏の紹介者として評価された。アメリカ大陸の発見者とされる、コロンブスは1492年サンタマリア号で航海に出る前にマルコの見聞録を詳細に読んでいる。だが、マルコが書いたアラビア・マイルをイタリア・マイルに取り違え、アメリカ大陸をインドだと誤認したようだ。話は元に戻るが、ガレー船団の艦長指揮顧問官として、ジェノアとの海戦に出兵、大敗して牢獄につながれる。この時、父から取り寄せた旅行メモをもとに、同房の物語作家ルスチケルロに口述筆記させたのが「東方見聞録」の祖本になった。マルコは単なる冒険家や旅行者ではなく商人だったから、商品の質、量、名称等は大変詳しく、特に国益を第一と考えたコンボイ、時の政府には価値の高い本ではなかったろうか。以下、紹介する118話は困難窮まる商品探しと、男なら天にも昇るような話の組み合わせになっている。
(以下、Heroldo de HEL 第122号に載っています。)