第67回北海道エスペラント大会

と き:2003年9月13日(土)〜14日(日)
ところ:053-0025苫小牧市本町1丁目6番1号
    苫小牧市文化交流センター

9月13日(土)14時〜17時:苫小牧市文化交流センター
*パネルディスカッション
 基調講演「21世紀とことば:母語・エスペラントは何を伝えるか
 講師:駒沢大学苫小牧校文学部   篠原昌彦 助教授

内容を公表します。


 問題については…エスペラント大会として…結局こういう表題が選ばれた、と。母語といのが出てきたところで非常に「ははあ」と思ったんです。昨日おとといの…でありましたけど、母語というのは生まれる前から体内で聞いて脳に入っている、と。それからちょいちょい英語第2公用語化問題のときに出てきたのか、母語が基本的に人間の基礎を作っているという話も出てきている。エスペラントができて以来どういうことをしてきたかということは質問あるいは追加説明なりで皆さんからでも私からでも話すことはあると思いますが、…につきましては、ここに自己紹介の文がありますのでここでご覧になっていただけると思います。まずはご紹介いたします。
 
 あらためまして皆さんこんにちは。今日は日本語で話をさせていただきます。今日のタイトルは「21世紀と言語・母語・エスペラントという大きな枠組みになったわけですが、今何故エスペラント運動が大切かということ、私エスペラントの専門ではなくまたエスペラントも話せないわけですが、昨年母語の問題、そして近代になって生まれた各国における国語という役割については、今日持ってきたんですが、このような日本語境界領域(?)の当事者テキストというブックレットを作りましたので、今日はさらにその延長線上でエスペラント運動の持っている21世紀への希望を話させてもらいたいと思いますが、昨年の日本語境界領域のブックレットは今日販売もできますので、1冊400円ですけど、実際に手にとってみて、なぜならこの最初の引用がですね、国語という思想、特に近代日本の国語教育の中で果たした、役割は日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦・アジア太平洋戦争と進んでいく中で大きな役割を果たしているということですね。イ=ヨンスク先生、一ツ橋の先生ですが、日本語の役割・認識「日本の国語」という認識は近代日本の言語意識が暗黙の前提とすると同時にその言語意識が最終的に到達すべき理念的目標であった。またそれは言わずもがなの倫理であり、道徳でもあった。そういう鋭い指摘を引用しながら私は現代文学の論を展開したわけです。したがって今日のレジメの4番、ここにつながってくるものでもあります。なおイ=ヨンスク先生はそこに資料として紹介した田中克彦先生の教え子でもあり、今田中克彦先生は一橋大学を定年退官されて現在は中京大学教授として指導されています。ではさっそく2冊ほど回していきますのでゆっくりとご覧になってください。
 
 ではレジメに沿って、与えられた時間は50分だと聞いていますので、話を進めます。今日一番話をしたいのは由比さんのことです。1967年11月11日に、当時はベトナム戦争泥沼化、アメリカが北爆と同時に抜き差しならない形で進んで行った。そしてまだ日本に返還される前の沖縄からはナパーム弾をはじめ北爆の爆撃機が次々と飛び立ち、またアメリカの兵士たちも沖縄の・・・ベトナムの米軍基地に飛んで行ったりして沖縄の問題と言うのは、当時私はまだ中学3年でしたけど、この由比さんの行動に非常に大きなショックを受けたことをつい昨日のように覚えております。ベトナム戦争に抗議した由比さんはエスペラント語の普及にも大きな役割を果たしておりました。これが第1社会面で大きく2つの写真が入って、朝日新聞でも第1社会面のトップ記事として扱われています。当時の佐藤栄作首相が訪米の前日、首相官邸の前で焼身自殺で抗議したわけです。「死をもって」という抗議書を残してこの世を去りました。そのユイさんの話ですが、その資料にも挙げましたが今年刊行された本の中に由比さんの話が載ってるわけです。なぜかといいますと何故いま私たちがユリさんを思い出して心の中で活かしていくことが必要かといいますと、いうまでもなく今年の3月20日に始まったアメリカ軍・イギリス軍によるイラク攻撃がありました。そしてちょうど今まさに泥沼化という言葉も使われておりますし第2のベトナム化というふうにも言われております。一つは辺見庸さんが「いま、抗暴のときに 」という名前で次のように述べております。先ず最初は由比さんの抗議文から引用して、この章のタイトルは辺見庸さんが「あらがう」こと抗議することプロテストすることの人間性、人間的な意味ということでユイさんの文章の次の部分を途中省略しながら引用していました。「佐藤首相に死をもって抗議する。ベトナム戦争でアメリカ軍は南北ベトナムの民衆に対して悲惨極まる状態を作り出している。このアメリカに対して圧力をかけられるのはアジアでは日本だけなのに圧力をかけるどころか北爆を支持している佐藤首相に私は深い憤りを感じる。私の焼身抗議が無駄にならないことを確信する」これを引用して辺見庸さんが、辺見庸さんは説明するまでもないと思います。芥川賞を受賞してその前にはジャーナリストとして優れた仕事をしてもおりました。その辺見さんが「由比タダノスケさんのことを時々思い出す。大きな歴史の節目にはなぜだか由比さんのことを考える。憤激を行動として示すことのできないとき、由比さんが頭に浮かぶ。思想とその結果としての自己処理、『自裁』ですね、自らを裁いて命を絶つという意味ですが、しかし思想と自裁の2点間には自分の場合、数万キロもの距離と複雑きわめる迷路があって、それをあえてなぞっていくといくつもの逡巡と怯懦(キョウダ)という思想上の交差点があり、それらをすべて突破した頃には最終的には自裁へと到達すべきであったはず出発点の論理と意欲がウソのように消えうせてむなしい徒労の海にただよっているのがつねなのである」ちょっととばしますが次の段落ですね「機動隊との連日の衝突に心底肉体的恐怖を感じ、はずかしくてもそれを口にできずに悩んでいたころ私は由比さんの焼身自殺を知った。報道によると首相官邸正門と反対の歩道に立ったまま胸にガソリンをかけライターで火をつけて仰向けに倒れたのだという。73歳だった。私は新宿の喫茶店の白黒テレビでニュースを見た。画像は歩道上で瀕死の状態で横たわっているユイさんをためらわず写していた。今なら考えられないことだ。記憶違いかもしれないが黒く焼けただれた下肢がまだぴくぴくと痙攣していたような気がする。カメラマンはある種の畏敬の念から打ち震えながらそれを撮っていることが私には分かる。由比さんはアメリカの戦争政策をどこまでも支援する佐藤政権に死をもって抗議したのに、私は自分の怯懦(キョウダ)が告発されたように感じて打ちのめされたものだ。なぜ今また由比さんについて語るのか。これはノスタルジーではない。安逸・ボケ・無責任の戦後民主主義が今じつにはずかしい死の時を迎えた。殉死でもナンシでも憤死でも横死でもない。ぎりぎりまで抵抗して権力に圧殺されたのでもない。闘わずしてたんに自堕落を重ねた上での醜悪な自然死なのである」と述べていますが、ここにいたる文脈の中で1999年に周辺事態法が成立した。日の丸・君が代法制化される。盗聴法もいっしょに成立したのですが、そして今年になっていわゆる有事法がとおった。それをふまえたうえで今私は由比さんに恥ずかしい。私たちは今どこまで平和ということを意識しながら今に平和に対する思いというものがあるのか、そういう文脈で由比さんについて思い出すということを辺見さんが語ってくれています。もう少し後には由比さんにたいする辺見さんの考え、このように述べています。「由比さんは戦時中、『木材で戦闘機を作ることを真面目に考えたような』という、どちらかというと戦争に協力的な人物だったという。それが終戦直前に一般邦人を尻目に『我先に』と逃げだす関東軍を中国で目の当たりにして考えを変える。中国につぐないをすると決意し、妻子を日本に返して日本軍が破壊した都市の復旧のためにはたらいたという。彼が生涯こころのよりどころとしたのはユダヤ人の眼科医ザメンホフ博士が築いた国際語エスペラントの学習と普及だった。一民族の解放だけではなく全民族の平等と平和を唱えたザメンホフの精神にうたれ、ブルガリアに本部のある世界平和エスペラント運動の日本支部を作り、支部長にもなっている。こうした由比さんがベトナム戦争に悲憤慷慨し、アメリカの戦争拡大を支持する佐藤栄作にたいし反骨の怒りを感じたことはむしろ自然の流れであったろう。焼身自殺は佐藤首相訪米の前日に決行された。由比さんの自裁について大宅壮一が書いた原稿の気迫を私は今でも覚えている。『由比老人の抗議文の内容は現在日本人が痛切に感じていることばかりであり、いわば国民の常識であり良識である。それを焼身自殺という異常な形で表現した由比老人の役割を私は高く評価するものである』この原稿はどこに載ったか。ほかでもない『サンデー毎日』だ」この一冊の本に『いま、抗暴のときに』とまとめられて辺見さんの西院をもらったわけですが、私は東京に行けなかったので友人に頼んで、友人というか私のゼミの教え子の社会人の方にたのんだのですが、辺見さんは私が敬愛している作家なんですね。この文章が連載された最初が『サンデー毎日』なんですね。そのサンデー毎日に大宅壮一が「日本人の良識である」という言葉を載せたのですね。辺見さん「35年前にはもっと迫力があったのである。大宅の文章はさらにいう『現代人に最も必要なことは誰もが常識と認めていることを行動に移す勇気である。あえて由比老人に続けとは言わないが、そういう意味でこの老人の死を無駄にしてはならないと思う』」辺見さんの文章は続いていきますが、私が今日なぜ由比さんの話をしたいかということのほとんどは、今辺見さんが述べている、そして引用したかつての大宅壮一の文章に尽くされていると思いますし、もう一つ資料に紹介しました小嵐九八郎という歌人でもあり小説家でもあって、私はこの人の小説で「まさきくあらば」という万葉集の歌、まさきくあらば〜という歌の一節から死刑囚と文通しながら愛を通い合わせている躁うつ病の女性という小説で感動を受けましたが、この人は「〜にはいたらず」と。この本は初版だけでなぜか当時新聞・週刊誌などで大きく紹介されて新聞でも週刊誌でも評価されたにもかかわらず、おそらくここに紹介された25人の評伝なんですけど、そのプライバシーの問題もあったかもしれませんが、もしくは小嵐九八郎さんが2003年にこのような本を出すことへ出版社からの配慮があったかもしれません。サブタイトルは「新左翼。死人列伝」ですが、由比さんは新左翼ではありませんが。この本の中でも、私も苫小牧平和委員会の会長をつとめておりますが由比さんも平和委員会に所属しておりました。著者の小嵐九八郎さんも紹介しておりますが、全部で25章にわたる1960年代70年代中心に、古くは60年代に国会内で機動隊に殺されてしまった樺道子さんの文章から始まり、一番最後第25章には苫小牧にも縁のある植内病院の副院長をされていた島さんで閉じられている。25章の中で由比さんは5章にいるわけですね。1894年10月に福岡県に生まれた由比さんは73歳でベトナム戦争に抗議して亡くなったんですね。律儀な由比さん、と…さんは…特にベトナム戦争の中での由比さんの思いというのを紹介しています。そのなかで、さきほども辺見さんは、エスペラント運動に生きがいをもっていた由比さんと辺見さんと書いていましたが、小嵐さんはどのような形で由比さんとエスペラント運動を述べているかといいますと「非暴力・平和主義のエスペラントの営為がおきて、学生の戦いは層を厚くして老人の若い労働者や市民をもふくむ、なつかしい言葉である燎原の火のようにもえあがっている。当時のベトナム反戦運動の時代状況を書き、そして日本の由比タダノスケさんの焼身…は、ベトナム戦争はアメリカが悪いが自分の日々の方が大切という人を揺さぶり、心の底で選択を迫ったと考える。今頃になって思うのだが本当の力のすごみはどうやら饒舌よりもゲバルトの闘士よりも突き詰めた非暴力にあるのではと身震いさせられる」と、この小嵐さんは書いています。つまり非暴力と平和、そうした思い、これは今日のレジメで志の高さというふうに由比さんの思いを紹介しようと思っていました。由比さんは今も平和を願うおおくのひとびとの心に生き続けていると思います。ここにあるのはマイクロフィルムから写した、翌日の由比さんの1967年11月12日の新聞記事です。そして朝日新聞の社会面で3段で大きく、13日に由比さんが亡くなった記事が、12日の朝2時50分呼吸困難をおこし意識不明になり亡くなった、と。大きく載せられております。私はちょうど今日紹介したプリントの朝日新聞の社説。資料の方、枚数少ないのですが、真ん中の段の5行目、11日首相官邸前で焼身自殺を図り首相の訪米特別機が飛び立つ直前にそのいのちを絶った73歳の老平和主義者の心境もまさにそれであったに違いない。それはベトナム戦争で同じアジアのベトナムのひとが命を失っているナパーム弾・枯葉剤、なおその枯葉剤の影響は今なおおおくのひとに残り続けているわけですが、その当時の若者たち、多くの日本人に共通の思い、それが由比さんの行動を駆り立てたととらえて、どこへだれに訴えてよいのか悩みぬいた上での行動であると見えるのである。その遺書には自分の手のとどかないないところで動いているようにみえる現実政治への強い不信感が表明されているといえよう。と社説で述べていますが、この項目の最後に、かなしむべき焼身自殺を二度と繰り返してはならないための道、それが70年安保を直前にひかえて取り組むべき課題であると当時の社説は述べているわけです。この社説の論がすべて百パーセント私と同じ意見ではないですね。私個人の意見としては由比さんはエスペラント運動に生涯をたくしたからこそ自らの行動としてベトナム戦争に抗議したということをはっきりと評価すべきだと思っておりますし、また当時のベトナム戦争はアメリカという国の世界戦略、帝国主義にほとんど近い形で進んで行ったものだということをもっとはっきり考えております。ちょうどこの焼身自殺の記事の中で、11段にわたっていますが、由比さんは日本のエスペランティストのなかでは最長老のひとり。戦前、今の東京工業大学の前身である学校、蔵前の学校ですが、卒業前後からエスペラントの勉強をはじめた。そこで今日の2番につながっていくのですが、新聞記事もう少し続けますと、戦後は東海地区の有力な指導者でしたが、もともと徹底してやらないとすまない性格で、世界平和エスペラント運動の日本支部長も勤め、平和運動に熱中していた。とくに被爆者の救援とベトナム戦争に深い関心を持っていた。また、朝日新聞に掲載中の「戦争と民衆」という項目があったようですけど、時間がなくて・・・今回この記事だけを紹介するのですが「戦争と民衆」のエスペラント訳をすすめるのが日課だった、と。朝日新聞の「戦争と民衆」をエスペラント語で発信していた、そのことと由比さんの行為はまったく同じものであったんですね。由比さんの友人であるエスペランティストが、・・・その一人がこのように述べている記事があります。「今から考えるとアメリカのデトロイトでベトナム戦争に抗議して焼身自殺したクエーカーでエスペランティストでもあったアリス=ヘイズ(?)さんの2周年追悼集会が2月、東京の神楽坂の・・・会館で開かれたが、それに参加したときから焼身自殺を決意したのではないか」とありました。また、記事は「なおエスペラントは世界共通語をめざす人造語で日本では約2万人のエスペランティストがいるといわれるが、世界語という国際的な性格からも平和主義者が多いという」と記事でかかれております。では今どうでしょうか。ちょうどおとといが9.11同時多発テロ、そして報復という形でアフガンに空爆を行ない、そこでも多くの子ども・女性・高齢者が犠牲になりました。いうまでもなく3月2日のイラク戦争もまだまだ戦争状態が続いています。今私たちにとってエスペラント語に生きる支えを持っていた由比さんの志の高さは、ちょうど生き生きと思い起こす価値のあるものだというふうに思っております。67年にこの世を去った由比さんの肉体ではあっても、その心と魂はちょうど今21世紀に入って各民族の争いがアフリカで起きて冷戦後はさらに人類に争いが起きている。ですから今日の民族と言葉、そして平和の問題を由比さんが私たちに指し示していることが多いと思って、今日の報国の中心にすえたわけです。そしてまた日本でエスペラント運動に大きな影響を与えたのはエロシェンコだったと私は思います。エスペラント運動のもつ平和・訴え・意義はとても大きいものがあり、それはエロシェンコの歴史的痕跡だと思います。エロシェンコについてはそれほどまとまった本は多くないわけですね。そこの資料に紹介したところではエロシェンコの若き日のイギリスでの・・・をていねいに書いてくれている高杉さんの『夜明け前の歌』そして1920年代を中心に東大で中国文学とりわけ現代中国文革を専攻して私と高校時代に同じ学年にいた藤井省三さんです。1989年にみすず書房から『エロシェンコの都市物語』サブタイトルが「1920年代、東京・上海・北京」と書いてあってまた資料を駆使しながら詳しく書いてくれてますし、1920年代の東京を中心にした当時の若者たち、新宿中村屋も含めた影響を与えた・・・を書いてくれてますが、しかしこの本のウィークポイントというのはエロシェンコそのひとの志といいますか、なぜエロシェンコが短い生涯のなかでこれほどまでにエスペラント運動に献身したか、ということを十分に分析してくれていないという感想を持ちました。もちろんこの本そのものは力作だとは思います、努力してかかれていますが、もっとエロシェンコそのひとの思想性なり当時の世界の帝国主義戦争のまっただなかにありながら全身全霊をもって活動したエロシェンコの、とりわけ言語の問題を十分に掘り下げていないなと感じました。もちろん当時エロシェンコに影響を受けたひとたちなり、または交流のあった日本の若いひとの当時の一部の学生たちであるとか、・・・たくさんいるわけですね。文学者としては秋田雨雀とか秋田雨雀にとってはエロシェンコの語学の才能・文学の才能・詩人としての才能、それから当時の日本の植民地支配していた朝鮮半島、その問題をもっと大きな役割として、それはエスペラント運動だったエロシェンコだったからこそ可能であり、またエスペラント詩で朗読したりしていたエロシェンコ、しかし日本でその後のエロシェンコのイメージ、受け止め方は盲目の詩人という風に固定化されてしまうわけですね。しかし本当はそうではない。今日お話したのは、由比さんにつながっていくような20世紀での言語・民族の争いを乗り越えていく言葉の大きさをエロシェンコが自ら実践していった、そこにおおきな今後のエロシェンコ評価が出てくると思います。また、これは藤井昭三さんも高く評価している、魯迅に引き継がれていく役割ですね。エロシェンコから魯迅への突貫(?)ですね。著作の・・・の・・・魯迅が自分自身を書いたそこに魯迅がエロシェンコ童話を翻訳し終えてそのことが・・・の中に述べているわけですね。そうしますと、当時魯迅が苦悩した中国の問題とは日本の軍国主義ですね、当時は大日本帝国といいましたね、天皇が統帥権を持った軍隊で中国が侵略されるなかで国民党と当時は八路軍ですね、その争いの中で上海事件がおきて魯迅は非常に苦悩する。そのなかでエロシェンコの志の高さが引き継がれていくと考えられるわけです。エロシェンコがエスペランティストであり詩人でもあったということは、私は重要なことはいつも孤独であったこと。エロシェンコの孤独というのが組織であるとか国家であるとかそうしたものを乗り越える高い心で魯迅の圧制に対して抵抗していく反抗していく、そこに民衆との心をつながらせていく、ということで活かされているだろうと思います。たえずエロシェンコも弾圧を受けて迫害されておりました。それを思えば特にエロシェンコの立場、今日のレジメにも書きましたが、反帝国主義であると同時に反スターリニズムでもあった。エロシェンコはソ連の中においてもスターリンの権力が確立された後弾圧を受けております。そういう意味では私たちはちょうど冷戦構造がおおきく世界に、20世紀がよくいわれますが、1914年に第一次世界大戦が始まり、1989年にベルリンの壁が崩壊し、そうした時期までが20世紀だといわれます。長い19世紀に対して短い20世紀。特にその20世紀というのは帝国主義の時代が前半、2度にわたる世界大戦ですね。後半は冷戦ですね。そういういう中で生きている世界の多くの人々、民衆はどうだったかというとき言葉の問題は十分に考える意義があると思います。3番の、20世紀の帝国主義の問題そして民族の問題、言語。エスペラント運動の意義を考えるときに、2度にわたる世界大戦はやはり植民地支配、帝国主義国の植民地の奪いあいだったわけですね。そこでは強大な帝国主義国家が自らの言語を支配されているひとびとに強制的もしくは半強制的に使わせた。そのもっとも日本での端的な例は、韓国・朝鮮の人は今でも日帝支配と呼んでいますが、言葉を奪われ名前も奪われたわけですね。そうしたなかでエスペラントの役割が大きいということは古典中の古典になりますので、今日みなさんの共通の文献だと思いますが、『危険な言語』ですね。これは自分を創ってくれた精神形成のなかの一冊だと思いますが、私が特にこの『危険な言語』から教えてもらったのはスターリンの問題ですね。スターリンは民族問題・言語問題で今でもまだまだ研究していく余地があると思います。ただたんに粛清をおこなったとか、自分の強大な権力を象徴するために政敵を抹殺したというだけにとどまらない、ちょうど今のロシアが抱え込んでいる多民族の紛争にもつながっていること。それをずっとたずねていくと『危険な言語』で迫害を受けながらもエスペラントが果たしてきた歴史的な意義というものおおきく学び取ったことは自分にとっての出会いの一つだったと思います。エスペラントの学習がおおくの人に希望を与えている。それは世界とか平和とかに希望を与えてくれているということになっていくと思います。でもまだ民族とか言語の問題は未解決のまま残されています。そのことによって、アフリカでは部族間のことを考えますと、これから21世紀は環境問題・地球温暖化の問題と同時に民族と言葉の問題はこれから解決していくべき課題だろう、と思います。そして4番、今日のまとめにもなっていきますが、もともと今日お話したように20世紀が戦争の時代であった、戦争と革命の時代でたくさんの命が奪われていったわけですが、もともと近代の国民国家というものがうまれたときに、その国の言語として一つの言語が国家の言語として形成されていきました。イ=ヨンスクさんは特にそのことに注目して明治の国語教育がちょうど近代の天皇制を骨格とした大日本帝国憲法に形として具現化していくことになっていく、そのいわば柱をなしていくのですね。それを考えますと井上ひさしさんもこの問題でいろいろな仕事をしていて私もいろいろ影響を受けていますが、地方語、方言とも言われていますが、それはどうなるのか。もしくは世界を見渡すと20世紀のはじめから20世紀が終わった時点までに消え去った言葉というのがたくさんあるんだ。民族が消えるだけでなくその民族にとってかけがえのない言語も次々に消えていったということを考えますとエスペラントの役割というのは消えて行ったたくさんの言葉の代わりに世界の共通していく土台というんですか、人類が全て使うようになるかどうかという問題とは別に、そうした運動があった、言語運動があった、文化運動があった、それが平和に大きく貢献していくなり平和をになっていくという意味で21世紀に受け継がれていくと、私はそのように評価しています。ここに持ってきました田中克彦先生の仕事ですけど、岩波新書の『ことばと国家』。ここでも鋭い指摘があります。母語と母国語は違うんだ、と。母語という言葉にこだわるのは、日本語にはいつのころから母国語という言葉がつけられて、それが専門の言語学者でも不用意につかっている。しかし国語というのは国家の政策において、徴兵制度といっしょに各近代国家が政策としてもちいていたわけで、人間それぞれひとりひとり世界のどこに生まれて、たとえしょうがいをうけたひとにとっても母語は母語であるわけです。これが重要であるわけですね。その母語の内容をいっそう豊かにしていくことが21世紀の人間の豊かさにもつながり、そして平和を形成していくときに問題になってくるのが、ちょうど20世紀の終わりから21世紀にかけての英語の問題だろうと思っています。田中克彦先生は国家語を越えて何が大切か、母語の役割の大きさを母語をもっともっと豊かにすることを訴え続けているのですが、そのときにコミュニケーションの言葉としてインターネットにおいても英語の方がよりコミュニケーションの媒介としてちからをはたしているわけですが、しかし私はそれに対して異議を申し立てるわけです。英語といってもアメリカの言語・イギリスの言語だけではないわけですが、アントニオ=ネグリ・マイケル=ハートの共著である『帝国』という本が話題になりました。そこに述べられているのはグローバル化つまり世界でつかわれている英語の問題インターネットで使われている英語の問題にもなりますし、経済活動ですね。通信と経済活動は国境を越えて行きます。また民族の違いも超えていきます。
 
 本当は仕組みとしてはそうではない。たとえばジェノバサミットが開かれたときに、なぜあれほど多くの人が抗議をし、あそこではひとりの若者も命を落としてしまったわけですが、あそこからこの問題が始まっていくわけです。この問題というのはグローバル化にともなって貧富の差が大きくなる。世界の中で地球の資源を数少ない人々が大量生産・大量消費そして消費のはけぐちとして世界に自らの・・・をうちたてようとしている。今の北海道にかかわってくる問題として農作物の国際的会議、これから成り行きがどうなるだろうかという今日的、現在問われているわけですが、仕組みとしてはもちろんアメリカが中心的役割、非常に強大な単一の一国支配に近い形の軍事力を背景にしながら展開しているわけですが、しかしさきほどお話したサミット、先進国という構造を見てみると多国籍企業という構造があり、国際的な構造においてはネグリとハートは、国境を越えて数少ないほんの少数者にだけ富が集中し世界の大多数、とりわけかつて南北問題とよばれていた南の国ですが、その南の国のなかにおいても貧富の差が大きくなっていますが、次々に没落していく。そこにおいてはたしてコミュニケーションは可能なのかということにおいてこの20世紀のエスペラントの果たした役割の大きさというのはやはりもう一度評価しておよいと思います。帝国という概念はアメリカ一国ではないのだ。「先進国」、かつてない(?)「先進国」のなかのさらにそのなかの経済力を手に入れたほんの一握りの数少ない、これは金融資本を含みます。コンピューターをつかってヘッジファンドのように一瞬のあいだに、あれは97年だったですけどタイという国家すら襲いかかって、韓国もそうでしたしロシアにも襲いかかってきたわけですね。そうした問題を考えるときに21世紀に課せられた問題、それは人間一人一人にとって母語、生まれたとき、生まれるというのは胎児が親の中にいるときから形成されていく、人間性であり、文化の源であり、そしてその人が生涯の中で果たして行くことがひとびとに伝わっていきます。人類としての母語の大きさとしていいとおもいます。類的存在。人間は人類として存在しています。大きな戦争そして経済力による言語支配というのはたえずかわってきました。19世紀においてはフランス語が外交力の役割として大きな役割をはたしてきたけど、20世紀になってそれが英語に変わってきているので、歴史によって時代によってたえず経済力や政治力や軍事力を背景にした言葉の支配と言うのは変わってきています。よく英語帝国主義といわれていますけど、それに対するアンチテーゼとして人間らしさ、母語の豊かさ、それは文学作品を生み、文化を豊かにしていっているという意味で、営々として良心をもって平和と共に取り組んできたエスペラントの大きさ、エスペラント運動は現在も歴史的な意味がおおきなものとして生き続けているという私の考えを最後にまとめとしてしめして、今日の報告を終わらせていただきます。熱心に聴いていただいてどうもありがとうございました。
 
 質問
 由比忠之進(チュウノシン)、覚えておいでの方は後藤さん、椿さん、それからまだいらっしゃいますね。由比忠之進(チュウノシン)が・・・ですね。
 
 失礼しましたありがとうございます。
 
 これはエスペラントをやっているからわかるんですね。日本語を見ていては分からないですね。つまり漢字で書いてますから。エスペラントをやっていたらチュウノシンと分かります。
 
 訂正のお詫びとおしえていただいたことに感謝いたします。チュウノシンですね。
 
 手紙ではエスペラント式ローマ字があの人は多かったと思います。エスペランティストなら読めます、発音で。
 それから思い出として由比さんについて何か付け加えてありますか、後藤さん。どこであったんですかね、後藤さんの場合は。
 
 ちょっと覚えていないんですけど・・・私はちょっと記憶に関する問題は全然・・・
 
 もうおそらく50年位前です。そして中国でのことを話しておりました。やはりさっき言われたような、当然戦争中の日本人の場合は大日本帝国のためにということで教育されてそのように我々も思っていた子どもですから、そのなかにあって中国に行って考えが変わったというのは、当たり前なことではないんですが、結局残って中国人の手伝いをすることになりました。それが自発的な意志がどれだけ強かったのか向こうからの働きかけがどうだったかはっきりしません。ただ、近くだったから分かるのでしょうけど、ときの中国の政権、国民党政権もありましたし当時中共政権と呼んでいた共産党もありましたが、各々のやり方について見ていてそれなりの批判もぴしゃっと持っていました。
 あと覚えている点は。
 
 由比正雪(ユイショウセツ)の乱とは関係ないでしょうね。
 
 同じ苗字になっています。あの由比(ユイ)さんは福岡県の福岡市の西側にあります、かつての『魏志倭人伝』であるイトの国、そこの出身です。
 
 由比なんていう名前があるもんなんですね。
 
 まあ由比さんの苗字の由来は聞いておりませんけど。
 
 それから由比さんの思想性云々ということをちょっと言われたんですけど、どういうふうに予想されたんでしょうか。
 
 私が由比さんに共感をもって読んだのはこの資料に挙げた3点だけなんですね。直接お会いしたことはありません。朝日新聞の記事とと辺見さんと小嵐さんの著書だけですね。素朴な、正直で、熱心な平和運動を担った人だと思います。日本平和委員会所属ですから、平和委員会の・・・も同じように市民運動としての平和にかかわって、思想性云々ということでは自分なりに勝手に由比さんに近いなと思っております。
 
 私が付き合って感じたのは思想性の中に非常に論理性があるなということです。しそうというのはいろいろ、対立する状況になることもあります。よくあのころあったんですけど、こっち側が正しいと思ったら、これに反することは皆ダメだという考え方をする人がよくあったんですね。あの人はどうもそうではないんですね。そのへんにはたと感じたことがあります。平和委員会というのは私は入っていないんですが、やはり平和運動なんでしょうね。
 
 個人参加の市民団体ですから割と柔軟で、特定の党派にとらわれないということがやはり題字だと思うんですね。
 
 エスペラント運動の中で今話してたんですけど、世界平和とエスペラント運動ということがあって私は彼から話をされて入って、大会であうたびに「会費が消えてますけど続けてください」といわれて、それで続いたわけですね。私はあまり良い会員ではなかったんですけど、しかしその中で特に問題があったのは原水爆実験に反対する、これは広島市や長崎市では当然だったと思うんですけど、被爆国としては当然だと思うんです。あのころ一部にあった意見の中で、「アメリカの実験には抗議すべきだけどソ連のには別の意義がある」として抗議しないという意見の人がいた。彼が論争の中で言ったのは「アメリカが帝国主義であるというんであればソ連は赤色帝国主義である」ということを会合でもはっきり言った。あのころどうかすると平和委員会とか左翼というのは、ソ連はモデルでアメリカをけなす、そんな印象があった中で・・・人がいるなと感じたことをおぼえています。そのためかもしれませんが日本の・・・ですか、世界平和運動の責任者からはとにかく面倒になったのかもしれません。そういうことがありました。あとご存知の方はどうぞ。
 
 悲しいことに原水爆禁止、そういう運動が、世界大会が今もなお分裂大会としてですね旧社会党系と・・・。やはり由比さんの人間的な魅力也志の高さは、そうした組織の論理や組織の強制力にとらわれない、あくまでも個人の気持ちに忠実に自分の思いを貫こうとしたことだと、・・・・・・尊敬の気持ちを持ち続けています。
 
 あとの方でアンチテーゼとしてのエスペラント運動と言ったのですけど
 
 時間が無くてはしょってしまったのですが、現在英語というひとつの言語が世界を経済的にも通信機能においてもグローバリゼーションという名の下でおおいつくしていますね。それをそのまま認めるのではなくて、僕がアンチテーゼと言ったのは、そうした英語帝国主義という学者もいます。ドイツで日本文法を作った、名前は・・・・・・というんですが、女性の方ですね。その方は英語帝国主義ではなくて各地域、各民族の言語をもっと尊重すべきだと言ったんですね。今のままだと英語そのものがさらに人々の言葉の機能の上で強制力を働かせてしまっているわけですね。僕の言ったアンチテーゼと言うのは、たとえば私たちならばやはり母語としての、・・・・・・・下町の東京のことば、また本籍地も生まれも長野ですから長野の方言、近い言葉としては寒いときには「しみてきた」とか暖かいときには「ぬくい」とか。信州の方言というひとりひとりの母語にちかいものとして愛着をもっています。それを自信をもって豊かにしていく根拠、歴史的に継続していく根拠としてエスペラントがあったのだと、20世紀にエスペラントに多くの人が言語運動、文化の運動の普及に力を尽くしたということを、そのことを大きな希望として根拠づけているわけですね。つまり英語に対して、英語をやめてエスペラントをやれ、というアンチテーゼではないんです。英語といっても決してアメリカの言葉イギリスの言葉ではなく、今何となくテクノロジーのおおきな力によってインターネットによって使われている、これもあくまで歴史的所産ですからいつまでつづくか、永遠ということはないと思います。たまたま今英語が世界的にコミュニケーションの媒体となってるわけですが、それに対するアンチテーゼとして尊重すべきものは母語である。しかしまた私は各民族を絶対視することも間違いだと思います。人類の知恵というものは、ちょうどEUが地域統合という形で各民族・言葉・文化を尊重しあいながらもゆるやかな地域統合によって作り出している。国家と国家の利害の対立を大きな争いにもっていかないようにEUが作られたと思います。私は英語という、いわばこれは経済活動と一体化していると思いますね、それに対する母語と民族の役割、それをゆるやかな地域統合の中で尊重していくときに20世紀の歴史的な貢献、役割を果たしたエスペラントを高く評価することで、たとえば今私たちなら北東アジアの平和のために世界から注目されているし、もう少し広く取るならアジアですね、アジアにおける地域統合ということで言葉と文化と平和ということに努力を傾けていくことが求められているのかなということで話を考えているわけです。よろしいでしょうか。十分な答えになってないですが自分自身の課題にもなってますので。一つ具体例を補足しますとタワダヨウコさんという、ドイツに住みながら日本語で小説を書いています。これもまた素晴らしいと思います。また私の尊敬している作家としてミツムラミナエさんが昨年本格小説、やはり日本語で小説を書いていますが。アメリカで暮らしているわけですね。アメリカの大学で日本の文学を教えたりしています。これはとても大きな役割を果たしていると思います。つまり国境を越え、民族を越え、それぞれの母語、ですからタワダヨウコさんにとっては母語は日本語です、ミツウラミナエさんにとっても母語は日本語です。ドイツで生活し、仕事をしながら日本語で小説を書き、それが最近高い評価を得て、つい最近谷崎潤一郎賞を受賞しました。そしてミツウラさんも昨年本格小説というのが評価を得ています。補足として具体例をあげました。それとは違う具体例としてはカズオイシグロさん、長崎で生まれましたがお父さんの仕事の関係でイギリスに行きました。映画化もされましたが『日の名残』そのあとさらに良い作品を次々出していますが、彼は小さい頃からイギリスで育ちましたから・・・個人なり内面なり、言葉も母語の大きさというのは自己決定権ということではなかろうか。一人一人がどの言葉を選ぶのか、それを大事にして豊かにしていくのかなと思えばこれからの多くの作品ですね、これから・・・・・・
 
 先ほどの中で20世紀中に消え去った言語がたくさんあった、これは民族の力なんでしょうけど、そしてそれをエスペラントの役割として消え去った言語の代わりになるかとお話をされましたけど、具体的にはどういうことを意味しているのでしょうか。
 
 代わりにというか消え去ったもの、今消えつつあるものは言語運動とか学習によって伝承していくことが大事だと思いますが、もうまったく忘れ去られて残っていないものについては、そのひとびと一人一人にとって20世紀に人間の知性・理性によって生み出した言語があるということが、その民族にとっての心の支えなり希望になるということで、私はそのような文脈で考えているのです。ヨーロッパにおいても中国においても多民族国家の中で、人数の少ない、みずからの言葉をもちえない人がいると思います。その人たちにとっては自分たちの言葉として人間の理性・知性によって言葉というのはありうるのだということで役割をこれから発揮していくべきと思います。
 
 これはそれに対するまた違った僕の考えなんですけど、少数民族のプロミスは危ない言葉を摩擦から救って、間の・・・になってやろうというのがエスペラントなんですよ私にとっては。ですから代わりになることはできません。ただ他の言葉との摩擦の弱肉強食の場とは別の次元の・・・にエスペラントが有ればお互いの言語のかかわりで・・・別の言語との橋渡しもおこなえると考えます。
 
 ありがとうございます。
 
 たとえば少数民族の人にしてもエスペラントの理想に共感すると言う人は少ないんですよ。いるんですけど、ヨーロッパの人の呼びかけに応えてくれた人もいるんですけど、なかなかいない。だから代わりが出来るほど力はないんです。
 
 ありがとうございます。代わりと言うことではなく、今本当に勉強になったんですが、摩擦を少なくしていく役割といっていただきましたが、私が今日話した念頭にあったのはポーランドの学校教育の中でもエスペラントが小さい子どもでも、日本でいう小学生くらいに当たる子どもたちでも教育を受けてエスペラントが使えるんだということが事例として、個々の少数民族の代替の言葉とまでは言い切ってなかったんですね。ポーランドはドイツとロシアという大国に占領されたり分割されたり悲劇を味わっています。そのポーランドでエスペラントが持っている意味は大きいと思いますので、それを世界で共感して実践していく中でアイデンティティというんですか、それぞれの民族のアイデンティティの中に人類の知性を希望としてもっていただくなら民族同士の、先ほど摩擦といいましたけど摩擦だけではなくて相当利害が対立する形で争いも場所によってはあると思いますので、それを未然に防いでいく働きと言うことで私は考えています。
 
 今お話の関係で、ザメンホフがそれこそ100年以上前に、今と同じ趣旨のことを言っていますね。どういうふうにエスペラントが使われるかといういくつかの一つの例が、民族の間にあらそいがあってどの言葉を使うのか自体が問題になるのかというところで、言い方をしています。その場合に中立の言葉を出すことで、使われる余地があるだろうと、そういうことを100年以上前にザメンホフが言っているんですね。その伝統の考えを受け継いでいるのが、今ここに来ていない人が中心になっている「先住民族の対話」という名前の運動があります。これは少数民族の交流をやるのにエスペラントを基にしている。今ここにいないのは「アイヌタイムズ」の編集会議だからですが、去年の大会では彼にある人から質問して「和人であるあなたが滅びつつある、滅ぶにきまっているアイヌ語を応援することにどんな意味があるのか」という質問があって、それがその場ではけんかにはならなかったんだけど機関紙の上では反論していました。そのような意味ではザメンホフ以外にも伝統的な同じような精神をついでいるのは、今日いないそのひとのやっていることだと思います。あれも今出している機関誌でしょうか、それを自分の国で少数民族たちに翻訳してくれる。日本でやっているグループは・・・私と今日来ていない・・・・そのような面での活動は・・・・エロシェンコが反スターリンといわれたのは、この本ですか。


(横山裕之注:ここで反論とありますが、私は、「アイヌタイムズ」のようなアイヌ語の復権運動というのは、まずアイヌ民族がいて、そこが中心になって活動し、和人はあくまでも二次的にサポートする立場と考えています。つまり、和人が表になって色々な質問に答えるべきでないと思うし、そうすることは無用な誤解に発展する可能性をもち、適切な対応でないと考えます。去年の大会では、こういうことに留意し、議論をするために説明したのではなく、アイヌ自身が、今までに、アイヌ語の復権運動について、どういう活動をしてきたか、その歴史を説明しただけです。それを何か勘違いしている人がいて、私が困惑したというのが実際のところです。機関紙に書いてあることは、反論というよりは、誤解をしている人に説明をしただけのつもりです。アイヌが自主的にアイヌ語の復権運動をしていて、私はそれをサポートしているにすぎないと考えてください。アイヌ語が滅ぶ滅ばないを、和人が論じるのはおかしいし、こういうデリケートな問題を無神経に和人が論じるのは私は不適切な対応と思います。)

 藤井省三さんの方に詳しく載っています。むしろ犠牲者ですね。エロシェンコが強く反スターリニズムを考えたわけではないですけど、弾圧を受けていく中でエロシェンコ自身はスターリンの言語運動に相当抵抗して行ったわけで、それを受け継いで評価したいわけですね。
 
 1930年代ですね。あのころにエロシェンコが発信したものが分かっていたのはエスペランティストぐらいだった、というのはご存知と思いますけど。つまり彼は国外に・・・・・・検閲を通って・・・・・・それは盲人(?)エスペラント・・・イギリスにあるんです。イギリスでは、これは発表したらまずいなと、点字だけで発表したんです。それで活字にはずっとならなかった。彼が死んだ後では出たんですが。・・・を読んだら良いと思います。ミネさんが出しています。そのころの、ソ連のある時期にある運動があった。権力側主導だったんでないかとおもうのは文化大革命と似ています。・・・支配力を及ぼそうとした。その中で・・・つながっているものがあると思う・・・は、集会がある。その中でこういう行動をしているのがいないか、こういうものをされされの中から排除すべきだと思うと言って何人かが手を挙げたんですね。・・・・・・・ああいう風な情報を得られるのは・・・
 
 残念ながら藤井省三さんはそこまでこの中では展開してませんので・・・
 
 だいぶ前に出てるはずですから・・・
 
 ひとつ先生の講演ではないんですがエスペラント大会のテーマについて平和ということが書かれていることについて、強い抗議のメールがある連盟委員から来ていました。それはどういうことかといいますと、一定の思想とか政治性を平和という言葉で現代社会では表現してしまう、君たちはそれを自覚して出しているのか、あえて出さねばならないのか、という問いかけが会ったんですよね。そのとき以来考えているんですが、私が先生に聞きたいのは、平和とかエスペラント語の役割というのが僕には平べったく聞こえるんです。いろいろ話していただいて話は面白かったんだけど、たとえばある人にとっての平和というのはベトナムの人にとっては平和ではない、ということがあるのと思うんです。客観的に見てこれこれは平和で、これこれは平和ではない、と。たとえば日本人に「今地球は平和ですか」と聞くと「だいたい平和です」と。だけどパレスティナ人に聞いたら絶対平和ではないんです。同じ平和という言葉でも、その人がどういう立場におかれているかとかどういう歴史性をもってこれまで暮らしてきたか、たとえば同じ一個の現象でもそれを侮辱と思うかどうかが違うように、平和と思うか思わないか、私の側から見たら十分平和なんだけどある人から見たら戦争だということが十分ある。国際的な言語秩序についても英語圏の人は比較的鈍い(?)場合があるんですけど、ここまでやれば妥当だとか、それではぜんぜん自分たちの言語権を反映されてないと考えるひともいる。そういう認識のズレがあるなかでこうやって平和を共有しましょうとか言語秩序を共有しましょうかというところが、これから大切になっていくんじゃないかと。20世紀まではこうやって問題提起をしてよかったんだけど、21世紀はそういうずれをどうやって埋めていくかが大切なんだけど、先生にとっては何かビジョンがございましたらお聞きしたいんですけど。
 
 非常に鋭い質問であり、なおかつ今直面している課題を質問していることにまずお礼を述べたいと思います。今、平板に聞こえたといいましたけど、私はむしろ平板、ひらべったい意識を大事にしたい。なぜなら、この人たちにとっては平和はこうでなければならないという認識がある、しかし片方のひとにとっては平和はこうだ、つまり平和に対する認識なり、生活がかかってますし、思いが深いです。被爆した人たちにとっての平和の思い。またアメリカではかつてのベトナムの兵士で傷がいえていないひとにとっての平和、湾岸戦争の兵士で今も傷がいえてないひとにとっての平和がある。いろいろな平和がある。ではいろいろな平和があって平和とは何かと言った時に、私がもっとも大事にしたいのはかつて・・・が・・・というタイトルで「ちちをかえせ、ははをかえせ」という詩をひらがなで書いた。あれをもし漢字で「父を返せ母を帰せ」と表記するなら、あれは単なる政治的なスローガンです。なぜ・・・があのときに、あれはちょうど朝鮮戦争・・・・・・広島の被爆者ですね。そのことを考えたときにわたしは命に立ち返るわけです。それは思想性やイデオロギーをもった人からは「なんだ」と見られるかもしれない。誰でもが平和を口にします。でもそれが平和を作る上でどうなんですか、という話し合いですね、対話。その対話のときに先ほども話したように対話が不可能なときにエスペラントをということを私ははなしたわけですけど、具体的に言いますと核兵器。アメリカはそれを大量破壊兵器としてこれから持とうとする国に対しては持たせない。インドは国連決議のときに包括的・・・CTBTに唯一つ反対しました。でも平べったく考えたときに、人間の命だけでなく劣化ウラン弾が打ち込まれたときに、食物連鎖の地球上の生態系さえも破壊するときに、人を殺さない殺されたくない、その一点で集団と集団が争いにまで至らないときの、その対話していく土台に私は平和というものを考えていきます。対話するときには当然コミュニケーションというものは言葉、非言語であっても映像で理解できるかもしれません。歌があるかもしれません、音楽があるかもしれません。ジョン=レノンのイマジンを若者に紹介するときに厳しい評論家は「なんだまたイマジンか」と批判します。たしかに誰でも知っていて誰も反論しないものは批判されるかもしれませんが、大量破壊兵器ならば今持っている人たちが自分たちが持って他人がもつことはアンフェアだと思うかもしれませんが、それを押しつけることはできないんですね。また核兵器の材料となるものが生み出される原発にしても、その処理すらも今人類は的確な方法を持たないままここまで来てしまったんですね。そういうときの対話していく最低条件を大事にしないと、お互いに平和平和といっても平和のために聖戦をおこなう、防衛のために聖戦をおこなう「私たちは平和のために戦うんだ」といって戦争がおこなわれてきた人類の教訓を大事にしたいというのが私の考えです。こたえになってますでしょうか。
 
 のちのち先生の本を読んでから、また質問させていただきます。
 
 私が書いた『心の病を・・・』も同じなんですね。日本語で「壊れる」とか「つぶれる」とかいう言葉を日本語として使いたくないという、「つぶれる」というのは「つぶす」側がいる。「こわれる」という言葉が生まれるということは「こわす」者がいる。人間の心をつぶすとか人間の心を壊すということはあってはならない、命にかかわることだということが、一研究者の立場です。
 
 ザメンホフがエスペラントを始めて、彼は彼なりの思想があったと思います。社会科学的なものからは幼稚なものだと思います。ただし彼がいろいろ書いたり演説したりしたなかで何を言ったかというと・・・・・・これはつまり「ひとびとと隔てる壁を壊す」これが彼の基本にあった。・・・国家もあるだろうし民族もいろいろあるだろう。それを壊そうと。我々がよく使う歌の中ですけど、人と人をへだてる頑丈な何千年の壁は我々の愛の仕事によって打ち砕かれる。つまり壊す・つぶすがザメンホフの・・・それで考えたのが、伝統的というか荒々しい言い方を反省してできたのが平和と言う言葉ではないか。平和と言う言葉を使うのはだいぶ後なのではないか。第二次大戦後。ザメンホフの時代にはないんですね。
 
 2003年9月13日としては心のバリアフリーという言葉ですね。今まさに心のバリアフリーという言葉に書き換えられると感じました。
 
 質問が4点。私はいわゆる英米語オンリーがグローバルスタンダードではないと思って自分自身も、・・・どうもエスペランティストとして会議には参加しながら・・・という人間なんですけど、・・・・・・ナショナリストの立場でエスペラントを評価しています。要するにそれは自分の民族だけでなくほかの民族の営みのなかで客観性を獲得するということで評価しています。そういう背景で賛同しているエスペランティストがいるということについてどう思われますか、というのがまず1点です。具体的に日本の国の中で言語問題を考えると製作としては自分自身は今自分が使っている言葉を標準語として、大和語の標準語を第一公用語。もちろんアイヌ語とかアイヌの人にはアイヌ語でコミュニケートするには・・・アイヌ系の民族の中からニーズというか自分たちは自分たちの共同体でアイヌ語で話をしたいということになれば国は政府として教育予算で、壊れちゃってる部分がありますがそれを復興するために教育予算をアイヌ系の人にやりたいと・・・それを第二公用語として・・・ということを具体的な政策としてやりたいと思いますが、それについて伺いたいです。由比さんの行動について違う立場でも感銘したんですが、これはテロといえばテロですが自分の身体のみを犠牲として他者を巻き込んでいない。テロの一種だけど、私は昔はテロを前面していたんですけど、最近はテロも善悪があるんじゃないかなと思います。あと現実には他者を巻き込んでいますがパレスチナでの自爆テロ、それからイラクの自爆テロ、それを独立運動、愛国的な意味でのレジスタンスといった場合に全面的に否定はできないという思いがあるんですが。・・・もちろん私はアメリカに対しては今アメリカ帝国主義であり暴走しているとんでもない国だ。イラク新法もベトナムも侵攻戦争だと認識していますが、ダブルスタンダードではないのかと思うのは、中国は、今の中国政府は帝国主義だと認識しておられるとのおはなしでした。1947年の、映画にもなったチベット侵攻、ウイグル自治区を侵攻してイスタンブールにも侵攻しましたが、将来台湾が政治的に国内外に独立宣言したら今の中国政府がそのときは・・・台湾侵攻についてセンセイは個人的には・・・
 
 まず1番目については、ほぼ同じ考えでおります。つまり世界で今のグローバル化の経済活動と通信のインターネットによる英語に対して、それだけで非常に貧弱になってしまう言語活動に対する様々な、それに対抗するような試みがあって良いと思います。2番目ですが、私は公用語という行政を通しての言語教育・言語行政には反対です。もっと多様性を認め合って良いのではないか。日本語教育が学校でおこなわれていて、それはあくまで聞く話す読む考える、そうした人間の基本的な言語の力ですね、言語力を高めていくうえで教科としても基礎学力としても人間としてもだけでなく学校だけでなく総合学習を通しても非常に重要だと思います。それに対して私は多様性を求めるということは今三省堂書店から出ている高校生向けの現代文にはアイヌ語も翻訳されると同時に教材のひとつとして載っていますので、たとえば古典としての柳田国男が編集した『遠野物語』それも尊重されていますし、せばめて標準語ですという形で行うよりは幅広く多様性とか異なるものを、それこそ例をあげれば鹿児島県の人々の言葉、個性。そして宮沢賢治の作品にも詩でも・・・・それを岩手の人が・・・そういう多様性の中にアイヌ語が位置づけられているという緩やかな形で考えています。3番目ですけど私はテロというものは他者の命を奪うということに関しては断固として反対なんですね。由比さんの場合は自分の信念を通す表現行為です。由比さんの焼身自殺をテロととらえるかどうかという認識の違いはあるわけですが、焼身自殺はあくまで表現行為だと思っています。2番目、パレスチナ難民または原理主義者の自爆テロには反対の立場をとっています。そこまで追い詰めてしまった原因があります。イスラエルのあれほどの言語を絶する、常識では考えられないひどい殺人があり、ブルドーザーで家も人もひき殺してしまってさらにミサイルでも殺しているわけですね。あれこそまさに国家テロです。国家テロに対して自爆テロでやっていったらテロがテロを生み、またそれにテロがテロを生むということでどこまでも命がどんどんどんどん失われていきます。今でも思い出すのは18歳の女性の大学生でしたかパレスチナの自爆テロがあありましたけど、18歳の女性の学生がビデオで堂々と自分の信念を表明していましたが、自爆テロをしないでその後彼女が生きて活躍したならば、もっともっと良い仕事ができたろうなと。たとえば彼女が何らかの仕事について、教師になら教え子が感謝したろうし、医者になったら患者が感謝したろうし、たとえ政党なり湯漬けがあったとしても他者を巻き込むテロには反対です。最後4番目、1949年10月1日ですね、中華人民共和国が成立して以後いろんな時代がありました。ですから今すべて一括して中国が帝国主義であるかないかというのは、とり方が荒っぽいのではないか。少なくとも文化大革命から1989年の天安門事件まではご指摘のとおり一党独裁による大国主義というか、それを帝国主義と捉えても間違いないと思います。しかし今開放政策の下にいろいろ試行錯誤してますので、その今の開放政策のなかで都市部と海岸の、上海などの経済発展と農村部との相当おおきな隔たりがありますのでまだまだ苦労は続くと思いますが、もう少し様子を見て、少なくとも今は解決の方向に努力しているのではないかと。少なくともあれだけ広いエリアですから、その中でいろいろな民族があります。それぞれの自治権を大きく与える形でこれからの歴史は進んでいくだろうし、少なくとも歴史は一党独裁のままではないだろうと、批判する他の政党を認めつつアジア全体、世界全体として動いていく。そうでなければむしろ中国そのものが国際的に孤立していくと思います。最後に台湾の問題ですけど、これは台湾自信の方でも今議論わかれていると思います。中国は自分たちの領土の一部だと思っているでしょうけど、そもそも領土という考え方が古い考え方です。私の考えからするならば、自治権を大幅に認めていけば台湾は中国か否かという議論自体が古くなるでしょう。そういう時代はもうすぐに近くに来ていますので、一国二制度という香港の返還のときのあのやりかたが今後成功するか失敗するか、今の基本的人権のあり方に対してホンコンは揺れてますからそれを見ながら台湾の行く末というものが・・・僕は楽観的にとらえています。台湾の人たちの意思を尊重してその総意に基づいた形で解決されるだろうと思っています。したがって中国と台湾の海峡をめぐる戦争というのは、ある捏造された、日本の国防力なりアメリカの第7艦隊の軍事力の理由付けにされた側面があると思います。あえてそれほど危険な情勢にあるとは私は思っていません。解決していくだろうと。平和的に解決されていくだろうと。だいたい4つの点にこたえたと思います。よろしいでしょうか。もちろん反論はあると思います。
 
 よろしいですか、お話うかがって
 
 (中断)
 
 僕は個人的には武力のない社会、それと人間的には、あのやろう殺してやる、という殺意のない社会が平和な世の中だと思いますが、これは理想ですけど。先生はどのように・・
 
 先ほどの質問のなかでも一度こたえていることをこたえますが、篠原にとっての平和は殺さないこと、殺されないこと、これに尽きると思います。もちろん人間の内面ではいろんな思いがあります。無意識の中にも殺意はあると思います。それはやむをえないと思います。しかしそれが外部に出た場合、個人だろうと集団だろうと、殺さないこと殺されないこと、これを平和と私は認識して、その自分の認識をささやかでもできる範囲内で実践していくことが平和委員会での活動だと思います。ちょっと補足すると私はいま日本は、私の認識の平和という考え方からすれば平和ではないと思います。1年間の自殺者が3万数千人ですか。交通事故の死者も1万人を越えていますが、その3倍ですね。日露戦争の死者と比較しても多いですね。特に中高年のリストラがその数を押し上げていると説明されています。自分で自分を殺してしまうのは、そこに追い込まれている。リストラの嵐がある。とても平和とは思えません。
 
 もう一つよろしいですか。「苫小牧、生と死を考える会」の・・・もなさっているそうですが、正直言って宗教法人の大本教の信者なんですけどエスペラントもその関係で入ってるんですけど。死刑ってありますよね。僕は、もし信仰のない者なら殺された遺族とか親のことを思ったら犯人を預けて爪の一枚でも指の一関節でも切りたいくらい恨んでるんじゃないかと思うんですけど、だけど人が人を裁くというのが果たしてどうかという疑問もありますけど、やはりこの会では死刑をおこなうべきではないと?
 
 生と死を考える会はおもに医療とか福祉関係の・・・末期がんの緩和ケアとかホスピスにとりくんでいるんで、その代表をしているのは古川さんという社会福祉士で長年の友人で、僕ももし自分が末期がんだったらという思いもあって顧問をしています。死刑問題には、全国の生と死を考える会でも死刑問題にかかわっていないというか、会員にもいろんな考えがあると思います。死刑問題に取り組んでるのはむしろアムネスティインターナショナルだと思います。私はアムネスティインターナショナルには所属していませんけど、裁判制度としての死刑はどうかということについては大変難しくてまだ答が出ていません。しかし国家の刑罰として死刑ということを考えた場合、もしその判決が間違いの場合、冤罪の場合どうなるのかなと、国家が人を殺すことになってしまいますから、もしも間違った判決で死刑が執行されることに大きな疑問をもっております。
 
 その場合は国家が・・・
 
 ついでに安楽死についてもちょっと。
 
 安楽死には反対です。尊厳死は認めます。安楽死と尊厳死は違います。つまり自然死に近い形で患者本人がリビングウィルまたはちゃんと意思表示して、これ以上の無理な延命もしくは人工心肺をはずしてくれというならば、それは尊厳死、自然死です。安楽死の場合は積極的に薬なり何らかの医療行為をもって死に至ることですから、私はかつて東海大学付属病院の判例で四つの条件がしめされました。その四つの条件が満たされれば罪には問われないことになってますけど、奇跡はいつおきるかわからないですよね。ですから尊厳死は私認めますが安楽死は個人として命の尊厳という立場から反対です。
 
 いろいろ貴重なお話ありがとうございます。私と先生と似ていると思うんですけど、の時代、平和という言葉を使っただけで政治的というか・・・・・・素朴な人を殺さないということなんですけど、これが政治的なだというのは理解できないですね。やはり人間同士の争いというか競争というのはどの時代でもありうることであって必要ですけど、人間の本来持っている理性の象徴である言葉を使って争いを処理することが大事だと。盲一つはやはり非暴力運動の大切さ。非暴力というと弱いような感じですけど、これが多くの人の心をつかむということでガンジーが・・・・・・私も若い頃はマルクス・・・にかぶれたというか、今でもマルクスの基本的なものは信奉していますが、いわゆる社会主義は大変なまちがいをしてしまったと思います。なぜかというと特にレーニン主義ですけど平和のための戦争をあるていど肯定してますね。しかしやはり最終手段としても使ってはならないと思います。やはり戦争なり暴力を使ってやった結果、そこにできた体制はものすごく民衆に犠牲を強いたし、歴史的に見ると非常にコストが高かったんです。だから今後の民衆運動の非暴力運動・・・由比忠之進の焼身自殺に関しては私もまだ分からないんですけど、できれば彼は生きて彼の言語で反戦を貫き通して欲しかったという気がしてならない。あと、・・・という話でしたけど、エスペラントでいうpopoloと言って人民という意味ですけど、エスペランティストの間でもいろいろ論争があるんですけど、国家に統合された民衆という意味と、国家というか支配、エスペラントでも国家のことをregnoと言ったりしますけど、あくまで民衆の立場から見たpopoloですね。民衆と訳すのが良いか、民衆の旗というのもありますけど、そういう視点が大事かなと。先生と考え方が違うのは、私は民衆語とか母語、尊重の立場を持っていますけど、あえてそれを一部の人が、ちょっと言葉は悪いですが、あおってアイヌ語を復活することは研究としては非常に大事だと思いますけど、それをアイヌの人たちに、アイヌの人たちという定義ももう難しいんですけど、その人たちに強制するなり、強制とは言わなくてもプロパガンダによって民族文化を取り戻すべきだという運動には賛成しないんですね。それは人類の文化がしめすようにある程度これは正しいかどうかは別として力を持つ文化が人間に幸福をもたらした場合はその変化が地球を覆ってきたというのが残念ながら事実なんですね。だから英語が強いというのもそれなりの力があることでやむをえないことなんです。だけどもやはり英語は民族語ですから、先生が英語に対するアンチテーゼとして民族語とおっしゃいましたが、私は英語に対するアンチテーゼとしてエスペラントというのを打ち立てたいと思います。それは民衆の立場に立った、エスペラントの学びやすさと中立性ですね。英語というとどうしても支配者の言葉というようなそういうイメージ、実質的にも経済的にそうだと思いますが。それに対してこれからのエスペラント運動は国家とか民族というものを第一におくのではなく、国家間とか民族間というよりも民衆、同じ人類としての共通の社会を作り上げる。いわゆる地球的な民主主義、そいういうことでエスペラントそのものの持っている学ぶのに容易だということが非常に重要だと思います。ザメンホフも言っていますが。今までの言語・民族を含めて、田中克彦先生も言っていますが支配の道具ですね。日本語もそうです。難しい言葉を使う人がエリートとして国家なり国家の権力をつかって民衆を支配してきた。これは国家だけでなくてあらゆる民族単位にもいえるのではないか。イスラエルとアラブの対立も、私はやはりイスラエルの支配層とアラブの支配層というかヘゲモニーをとろうとしている人の戦い、そういう支店から見てやらないと、民衆の立場に立った言語運動としてのエスペラント・・・になるのではないか。最後に21世紀になってからインターネットで英語がかなり広まるという、実際には広まっているんですが、逆に言語を学びたいという人の中でエスペラントの人気がすごく高まっているんですね。だからインターネットはある意味諸刃の剣になるかもしれない。非常に楽観的かもしれませんが。というわけでぜひ先生もエスペラントを・・・


(横山裕之注:「アイヌ語を復活することは研究としては非常に大事だと思いますけど、それをアイヌの人たちに、アイヌの人たちという定義ももう難しいんですけど、その人たちに強制するなり、強制とは言わなくてもプロパガンダによって民族文化を取り戻すべきだという運動には賛成しないんですね。」という発言があります。

この発言者からは、「アイヌタイムズ」の事業のことは知らないというお話をいただきました。「アイヌタイムズ」のアイヌ語復権運動については、強制なり、プロパガンダのよって民族文化を取り戻すべきだという運動にはなっていません。
この事業は、今まで差別があったアイヌ語による表現、出版を日本及び全世界へ普及させることを目的としています。その任意団体として、「アイヌ語ペンクラブ」があります。中心となっているのは、アイヌ民族でペンクラブ会長の野本久栄さん、同じくアイヌ民族で事務局長の萱野志朗さんです。
これは、どこからも補助金をもらわずに、厳しい状況(メルマガ第64号 2003年12月19日)の中で、購読者の購読料に依存して成り立っているアイヌが自主的に行っている運動です。アイヌ語の復活は、研究が大事というのはその通りと思いますが、アイヌが自主的に自ら文化を取り戻そうとしている運動も大事であると私は考えます。

儀式伝承をはじめアイヌ文化伝承で有名なアイヌ民族の静内の故・葛野辰次郎さんは、アイヌ語やアイヌ文化を博物館などにただの記録するだけでは「死保存」となり、実際に実践して活用して「活保存」しなければならない、という信念のもとに、「キムスポ」というアイヌ語の祝詞などを自らカナで作成した文集を1979年から発表してきました。また各地で行われるアイヌの伝統的儀式の祭祀を務め、その伝承活動をしてきました。この「キムスポ」の中には、以下のことが書かれています。「日の当たらぬ民族語を後世に残すことを余生の仕事にするようになったきっかけは、若くして亡くした長男の一言、『アイヌのくせにアイヌ語も知らないで何がアイヌだ』ということであった」。葛野辰次郎さんは、残念ながら、2002年3月27日逝去されましたが、アイヌ民族でアイヌ文化伝承者の二風谷の萱野茂さんは、「『土を掘れば、石器や土器は出てくるが、言葉は埋もれていないと葛野さんから教えられたのが、アイヌ語教室を開くきっかけとなった。真の大エカシ(尊敬を伴うおじいさん)だった」と悼んだそうです。萱野茂さんは、別の場面で、『自分の言葉を奪われた民族の悲しみは、奪った民族にはわからない。』とも言ってます。

現代は、国連を中心とした先住民族の権利回復など、人類の様々な多様性の価値を再確認し、それを推進している時代です。このような動きは、世界エスペラント大会で採決されたプラハ宣言にある「5 言語上の権利」や「6 言語の多様性」にもつながるものと思います。

5.言語上の権利

 言語間に力の不平等があることは、世界の大部分の人々にとって、言語的な危機感をもたらし、ときには直接の言語的抑圧となっている。エスペラントの共同体では、母語の大小や公用・非公用を問わず、互いの寛容の精神によって、中立の場に集っている。このような言語における権利と責任の間のバランスは、言語の不平等や紛争に対する新しい解決策を進展させ評価するための先例となるものである。

 いずれの言語にも平等な取り扱いを保証する旨が多くの国際的文書に表明されているが、言語間の力の大きな格差はその保証を危うくするものであると、私たちは主張する。私たちの運動は言語上の権利の保証を目指すものである。

6.言語の多様性

 諸国の政府は往々にして世界における言語の多様性をコミュニケーションと社会発展にとっての障害とみなしがちである。しかし、エスペラントの共同体にとっては、言語の多様性は尽きることなく欠くことのできない豊かさの源泉である。したがって、それぞれの言語はあらゆる生物種と同様にそれ自身すでに価値があり、 保護し維持するに値するものである。

 もしコミュニケーションと発展に関する政策がすべての言語の尊重と支持に基礎を置くものでないならば、それは世界の大多数の言語に死を宣告するものであると、私たちは主張する。私たちの運動は言語の多様性を目指すものである。)


 余裕がでたら・・・
 
 さっき言ってました、新しく出た・・・という出版・・・にですね、・・・少年からの通信がありますね。エスペラント団体もない国でどうやってエスペラント勉強したかというと、インターネットでエスペラント講座があちこちあるから入っている、と。アメリカ人の14歳で、エスペラントで通信したいと。誰に習ったかというとエスペラント講座がいくらでもあるからそれでやっていると。そのころなんだかそういうのが多いんです、あちこちで。・・・そこを見ての発言だと思います。
 
 考え方は同じですので・・・
 
 あとよろしいでしょうか。他に無ければちょっと・・・